今回は青年を育てる発想に関して台湾と日本とを比較しながら、日本の問題点を探ります

第七回 青年と教育(二)

 四年半ぶりに日本へ住むチャンスを得て、久しぶりにゆっくり故国の様子を見る機会が出来ました。今、研修先の大学がある或る政令指定都市に住むようになって、一ケ月ほど過ぎたところです。
 学生時代を過ごしたこの町は、私の学生時代に比べると随分環境美化が進み、公園や街路樹や各種の新しい公共施設が整備されて、台湾の雑踏を離れてきた私には、まるで別世界へ来たような落ち着きを感じました。お会いした恩師のお話では、この町を訪れたあるヨーロッパの先進国出身の研究者は、「私の故郷にも貧民街があって、いくらヨーロッパの町が美しい町並みをしているとはいっても、町全体がそうではありません。しかし、この町は、町全体が美しく整備されていて本当にすばらしいですね」と評価したそうです。今や日本の町の景観は環境美化の本場と思われてきたヨーロッパ人からも認められるぐらいになっているのかもしれません。
 しかし、実はこのような景観整備は、この町ばかりで行われたことではなく、バブル経済からのこの十年ほどの間に日本全国の様々な土地で同じような環境整備事業が進められた結果なのだろうと思います。高度成長期とそれに続く七十年代不況を乗り越えるために、その時代には忘れられていた都市環境整備が現在やっとおこなえるようになった、その結果、日本人自身の評価はともかく、町造りには神経を注いでいるヨーロッパの知識人からも、かなり高い評価を受ける町並みが生まれてきたのです。
 が、ここで問題なのは、日本人の自己評価かもしれません。「ヨーロッパの町は景観が整備され均整がとれていて美しいが、日本の町は家々がふぞろいで、店の看板が目立って汚く、露出した電線が醜い」などという評価が、テレビで流されていたのはついこの間のことでした。また、私の友人達はオランダやオーストリアに暫く滞在した経験を語って、「町や景色が本当に美しい」とその景観の美しさに大変惹きつけられたようです。私も短期間ですが、ドイツ・スイス・フランスを廻ったことがありますので、言っていることは確かにその通りだと分かります。

 ただ、私は、景観が美しいヨーロッパ、そしてそれを手本としたのかどうかは分かりませんが、同じような美化に奔走している日本の町には、共通する点が幾つかあると思います。第一にそれは、いい言い方をすれば落ち着きがあるということですが、逆に言えば両方とも活気がなく、熱気を失っているということです。地方都市であっても台湾の活気そのものの町並み、老若男女がひしめいていると言ってもいい町の姿に比べれば、ドイツの州の中心都市も日本の地方の中心地も、「ひと気が無い」と言ってもいいすぎではありません。一番人が活動する時間帯でみれば、人の動きが全く違います。確かに台湾の人口密度は六百人に迫っていて、ヨーロッパの先進国の三倍以上、日本の二倍ぐらいですから、特に都市部であれば、なおさら違いが目立つでしょう。
 しかし、違いはそればかりではありません。台湾の街頭で目立つのは子供と若者ですが、ドイツやフランスや日本の町で目に付くのは、やはり中年世代からお年寄りなのです。私は「花の都パリ」と聞いて若者があふれる町を期待していたのですが、パリはその点では言葉のイメージとは違って、どこか裏寂れた感じすらする高齢化した都市でした。そして、今や日本でもこの傾向は目に付くぐらいはっきりしてきています。特に今回、学生時代を過ごしたこの町に帰ってきて、朝夕の登下校時に見る子供達の姿が本当に少ないのに驚きました。以前は居て当たり前だった子供達が、探さなければ見つからないぐらいに目に付かなくなっているのです。そして、ここは一地方の中心地である政令指定都市です。「都市人口ドーナツ化現象」を差し引いて考えても、休日に一番の繁華街であるショッピング街やアーケード街を親子で歩いている子供の姿ですら、本当に探さなければ、見当たらないぐらいです。気が付かないうちに、日本社会は大切にすべきものをなおざりにして、真似すべきではない手本を無上のものと見誤る大きな間違いを犯しているのでは、という気がしてなりません。
 そして、このことは今回のテーマである青年を育てる発想についても、実は関係が深い問題です。

 ヨーロッパの先進各国と日本に共通している非常に解決困難な問題は、一つは高齢化現象、そしてもう一つは青年問題だと言われています。実は、この二つは同じ問題の違う側面を表しているだけのことで、青年層の人口減少と社会意識の変化が人口バランスを崩し、高齢者の比率を急速に高めているということなのです。特に日本とフランスは危機的なほど青年人口の減少が続いており、果たしてどのような結果になるのか未だどの社会も体験したことがない、社会崩壊現象に直面していると言っても過言ではありません。
 フランスについては具体的な知識がありませんので、日本だけに話を限定しますが、日本でここまで若年人口が減少した大きな理由は、私には戦後社会の「単一性信仰」と「対外閉鎖主義」が深く関わっているように思われます。

 まず、「単一性信仰」ですが、これは前回にも詳しくお話しいたしましたので、ごく簡単に振り返るだけにいたしますが、その一番端的な例としては、例えば大学に進学して給与所得者のホワイトカラー的仕事をすることのみがいい仕事であって、若者はみんなそのようにならなくてはいけないし、それが幸せなのだという、多様な選択枝を捨象して当たり障りの少ない道のみを誰もが信じ、子供達に強制する考え方です。これは、また、言い換えれば「全員が同じ価値観を持って行動すれば幸せになれるはずだ」という、少し真剣に考えてみれば全く幼児的としか思えない思考様式でもあります。
 いろいろな場面で日本の戦後社会にはこれと同じ問題が蔓延しています。例をあげれば、政治家ですが、「所得倍増論」とか「列島改造論」とか「住宅空間倍増論」など、今まで批判されながらも支持されてきた××党の皆さんがいつも言ってきたこれらの政策ですが、考えてもみてください。いったい、様々な職種があるのに同じように誰もの所得が倍増することがありえるのでしょうか?いったい地方色豊かな各地方が全部同じような建築物や交通路で覆われて意味があるのでしょうか?
 ××党を批判する人々は今まで利益を受けるのは一部勢力だけだと批判してきたのかもしれませんが、問題はそんなに簡単ではありません。実は、戦後の国民は自分自身から全部が同じようになることを期待し、それを要求し、それに満足してこの党をずっと支持してきたのではありませんか?元々個性的で多様であるべき個人の職業や各地方の経営などに知らず知らずのうちに、単一性を求めるようになり、それを当然だと思いこんでいる状態こそ、戦後社会の平和と繁栄の正体だったのではないかとも思えてきます。
 勿論、正の面として戦後社会は大発展を遂げ短期間で世界のトップクラスの実力を備えるようになりましたが、その反面、おおきな犠牲を気が付かないうちに払わされていたと、今になると思えてきます。その負の結果の一つとして、戦後の日本社会では、前回も述べたように若者の生きる道が極端に狭められてしまったことがあるでしょう。つまり、社会人として自立し独立して家庭を営めるチャンスが、実質的にではなくて、判断の可能性として心理面で非常に限られてしまったのです。たとえ家業であっても、自分の意志で、マスコミやいわゆる世間が薦めなかったり、あるいは見下していると言っても言い過ぎではない仕事を敢えて選べる若者は多くはありません。かつては家業を継いで立派にその地方を守ることで安らぐことが出来たたくさんの若者が、家業にも地方にも安住できなくなり、「**はいい仕事だが、++はだめだ」というような本来何の言われもない価値観に駆り立てられ、自分の子供世代にもホワイトカラーであれと教えて生きていかなければならなくなりました。
 こんな息苦しい社会で、しかもその価値観を一生持ち続けなければならないとすれば、たとえ競争に残ったとしても子育ては大変なストレスです。なぜなら、家業を軽蔑して自由になった戦後の社会では、逆に幼児期から最長でも二十年間で、そのままではゼロでしかない、その子の一生を極端に言えば進学競争だけで決めてしまわなければならないのです。家業を信じることが出来た時代なら子供は少なくとも生業のある親が居るだけでチャンスはゼロではありませんでした。親の仕事を覚えれば子供はそれだけでも自立できたからです。しかし、戦後社会では「単一性」からはずれまいとするか、それとも全くそれを無視して放任するか、選択枝は非常に限られてしまいました。うまく路線に乗ってくれる子ならいいでしょうが、そうでない子達をいったいどうやって育てればいいのか?そんな問いに答えが出るわけがありません。発想自体が間違っているからです。仕事に関わる単一性信仰は、足の長い人がかっこいいから、自分の子供の足も引き延ばさなくてはならないというのと同じ考え方なのです。
 
 それと同時に、子育てもそれまでの母性と父性による人間的行為だったものから、言ってみれば単一性にあった規格品を人工的に作るという行為に変わってしまいました。その結果、子育ては喜びの行為ではなくなり、自殺者や殺人犯が次々に生まれるような大いなる苦痛に変わりました。「子育て」の楽しみ、喜びを失ったとき、家庭すら、もはや次世代を育てる場としての喜びからはほど遠い、単なる欲望と感情を満足させるだけの場に変わってしまいました。そして、それ自体は本来方向を持たない欲望や感情の満足など、実はどこにも安定する場はないのですから、家庭が極めて簡単に崩壊するようになったのも当然です。婚姻はもはや呪縛以外のなにものでもないと思われる、女性が多いのも、例えば性的欲望を満たすのに正式の婚姻など必要ないと考える若い男女が多くなったのも当然です。いったい誰が好きこのんで、子供の手足を引き延ばしたり縮めたりするようなことをしたいでしょうか?また、自分がそうして育てられてきた世代は子供自体をもはや愛情の対象として思うことすら、できないかもしれません。
 「単一性信仰」は結局、日本社会から次世代を育てる喜びを奪い去り、社会の次の可能性を閉ざしてしまったのです。

 一方、第二次大戦後、日本と同じように国民の努力で近代化路線を歩んできた台湾は、日本とは全く違う考え方で成長してきたようです。つまり、生活の糧をまっとうに得ることができるなら、仕事は何でもいいという考え方が今でも生きているのです。職人であれ、公務員であれ、露天商であれ、個人が与えられたチャンスを生かし、その仕事で成功するように働くのが大切で、仕事に伴う社会的地位とかステータスで仕事に上下を付けて、仕事を選ぶべきではないというのが、今まで庶民の考え方だったように思えます。ですから、公務員がレストランを始めたり、先生が個人で塾を始めたりというような、いろいろな形の転職がごく普通のことですし、また、子供達にとにかく普通科高校へ行って大学へ入れと強制することも目立ちません。また、兄弟の能力に差があっても、勉強の出来る子だけをいい子と見るようなばかげた見方もしていません。誤解の無いようにいいますが、当然これらは程度問題であって、近代化を目指している以上、日本のような教育や青少年問題も勿論起こってはいるのです。ただ、日本のように八割以上が中産階級だと答えるような形では、考え方が単一化されてはいないので、社会全体としてみれば多様性が、いいかえればバランス感覚が保たれているのです。台湾でも進学社会で競争に勝ちステータスが得られる仕事に就けるなら一番ですが、だからといって日本のように親世代がほぼ全員、子供達は誰もが進学を目指すべきだと考え、そのような見方で全部の子供達を見て、「**高校に入った子はすばらしいが、**商業に行った子はだめだ」というようなランク付けをしているのとは違って、台湾では子供はまず何と言っても一族繁栄の象徴なのです。
 いろいろなチャンスがあり海外へも個人で進学や仕事に出かけていく台湾では、国内での進学の結果は、実はそれで一生決まってしまうほど重要ではありません。いわゆる敗者復活戦は本人のやり方と努力次第で、いくらでも機会があるのです。本来の意味での競争が行われている台湾では、進学競争の結果といっても一つのチャンスを与えられたに過ぎず、日本人のように**大学へ入ったから一生が保証されたなどと考える方が例外です。国際的には連合国の一翼だった立場を一挙に失って苦しめられた経験をした台湾社会では、人生全体を通して仕事で成功するということを考えたとき、高々十代や二十代の進学の結果が残りの四十年以上を支配することはないという、冷静な見方をどこかでしているのが当然でしょうし、大樹よりも若木をという冒険心と起業家精神を失わない人が多いのもうなずける気がします。
 台湾の視点から見れば、人生最大の敗北者は、五十代・六十代になって不祥事や汚職で起訴されたり自殺したりしている進学競争の勝利者である日本の大企業の幹部や高級官僚ではないか。私は台湾に住むようになって、こんなことも思うようになりました。
 
 戦後の五十年間、このような台湾とは逆の、単一性信仰による一体化の努力を続けた結果、日本は確かに世界第二位の経済的実力をつけ、自動車や電気などの製造業では世界一のレベルに成長しました。が、今や次世紀を担う若者は極端に少なくなり、社会の成長が完全に止まってしまっただけではなく、GDPの過半を超える財政赤字を抱え、地方は人口減少で社会崩壊の危機に面しており、人材の供給地だった農村も漁村も存続の瀬戸際に立たされると言う現在の状況に陥りました。そして、人口面に関しては、このままでは今後この傾向が好転する可能性は全くありません。言い換えれば、経済的活力を生み出す社会的人間的活力がもう底をついているのです。今後、一時的な経済成長がないことはないでしょうが、基本的には若年人口が急激に減少していく中で、経済的活力が回復することはあり得ないと思われます。
 得たものが大きかった代わりに、代償も半端ではないというところではないでしょうか。今後の日本社会の再生がありえるならば、それは、若者自身が自分の可能性をより広く考えられるようになり、国内だけではなく本当の意味で海外にも求められるかどうかだろうと思います。
 実は単一性信仰は海外に対する見方も、この五十年間歪めてきました。敗戦以後の日本人知識人の海外観を非常に極端に言えば、「欧米は全てが何でも優れているが、日本は全部が何でも遅れている。一方、優れた欧米を手本とした部分では日本は一番先進的になった。しかし、後から学び出したアジア・アフリカの国々は全部後進的であり、そこから何も学ぶ必要はない」というような、一体何のために教育を受けてきたのか分からないような一方的で歪んだ考え方ですが、実は今でも実にいろいろな場面にこれが出てきます。
 前にこのホームページでも紹介したNHK特派員の台湾報道もそうですし、歴史の具体的な解説もしないで大変だ戦争だ・・・と騒いでいるボスニア・セルビア問題もそうです。いったいあの地域は歴史上果たして先進的だったことがあるのでしょうか?
 私から見ると、敢えて言えばヨーロッパでは最も後進的な地域の、しかも今では単なる地域問題に過ぎないバルカン半島の問題をまるで世界大戦が起こったかのように取り上げるのは、どこかバランスを欠いているとしか思えません。実は同じような民族紛争は世界各地で激化していて、何もバルカン半島だけではありません。ヨーロッパだけを非常に大きく扱うのは、まるでアフリカで数知れず起こっている同じような部族対立は当然でどうしようもないが、全部が先進国であるはずのヨーロッパで同じようなことが起こっては大変だ、何とかしなくてはという感じの報道にしか思えないのです。それも、影響のある人口はたぶん一桁以上バルカン半島の方が少ないはずです。アフリカでは紛争でいくら犠牲者が出ても仕方がないが、全部が先進国であるはずのヨーロッパでは一万人が難民でも大変なことだとでも、言うのでしょうか?
 勿論、私はボスニア問題がどうでもいいと言っているのではありません。本来なら、いずれの悲惨をも座視できない悲劇と映るはずですし、長い歴史的怨念に対しては正義不正義というような浅はかな主義をふりかざすのではなく基本的には経済力を生かして教育面などで地域の安定に寄与すべきだということも分かるはずです。とにかく、同じ現象が一方は重大事件として毎日取り上げられるのに、他のものは全く存在しないかのようにあつかわれているという、この平衡を失った感覚が一事が万事、日本の海外感覚に潜んでいないかと危惧するのです。
 多様であることを恐れる単一性信仰は、結局、国内ばかりではなく日本人の海外観をも極端に単純化しているのです。私は、このような見方が戦後の日本人を特に海外との交流において対外閉鎖主義に陥らせたと思います。ここでいう対外閉鎖主義とは、まず、海外の人材を国内へ招いたり、日本の若者が積極的に世界各地に出かけて留学したり仕事をしたりしても、海外の経験を国内で生かすことができるチャンスがないことを言います。帰国子女という名前を付けられてしまう、海外経験豊富な人材もほとんどの場合、うまく育てられているとは全く言えません。単一性を脅かす海外経験のある人材を日本社会は基本的に望まないのです。また、本来なら自分とは違う社会や文化から学べるものはいくらでもあるはずなのに、欧米のものだけが学ぶべき対象で日本自身も含めアジア・アフリカのものは何ら学ぶ価値がないかのような精神的態度にも陥らせました。その結果、日本人は例えば家族についてはおそらく世界で一番手本にすべきではないアメリカ型社会を一番進歩していると思いこんでしまったようですし、英語は単数・複数を区別して論理的だが日本語にはそれがなくて非論理的だ式の、自分自身の言葉の姿すら知らない議論まで生まれてきたのです。一方、日本のものだけが絶対的で純粋な伝統を守らなくてはならないという、逆の単純化もしばしば見られます。

 豊かになり、これだけ海外との交流があるのにどうして情報の流れが極端に歪んでいてバランスを欠いてしまうのか?答えは簡単です。いわば子育てで問題になったホワイトカラー的かどうかというのと同じような単一性の基準が、この場合は欧米的であるかどうかという形で、海外観に対してあるために、例えば台湾の姿を見ても自分が勝手に思いこんでいる欧米社会の理想型にあてはめたり、それに追随する日本を中心に見たりしているからその姿が見えてこないのです。何かを見る前から、すでに答えは決まっているのですから、何を見ても何も新しいものを学んでいないのです。こんなことをずっと続けていて活力ある開放的な社会になれるわけがありません。そして、一方、欧米に対しては、本来、全く異質の欧米社会を東洋の果ての私たちがそっくり真似できるわけもないにもかかわらず、欧米から自分たちとやり方が違うと批判されると、そうあるべき理想の手本から怒られているのですから基本的に日本人知識人には反論しようもなくなるのです。家業を捨ててホワイトカラーになれと薦めざるを得ないのと同じことが、ここでも起きているのです。日本にはじっくり見直せば欧米人に言われるまでもなく、すばらしい伝統がいくらもあります。しかし、欧米のやり方や伝統が正しいとすれば、日本のものは全部だめとならざるを得ません。家業が大切だと言えない親父さんと同じように、日本の知識人は欧米のフィルターを通さないと、例えば浮世絵のように、自分自身を、また自分の見たものをすばらしいとは言えないのです。
 そんなことはないと言われるかもしれませんが、ではどうして大学に欧米語系学科は卒業生がすでに過剰なほどあり、研究者を志望しながら就職できない大学院生が山のように出ているのに、アジア系やアフリカ系の言語や文化を総合的に学べる学科は未だにほとんどなく、ほとんどまともに研究すらされていないのでしょうか?世界の多様な相手の言葉すら理解できないで、いったいどこが国際的なのでしょうか?外国語といえば英語、フランス語、ドイツ語・・・というような固定しきった発想で地球規模に拡大したこの競争社会が、同時に運命共同体となりつつある二十一世紀が生きられるのでしょうか?
 本来単一ではない世界を極めて単純に割り切ってしまうことは、いろいろな可能性の広がりを閉ざす点で、子供にホワイトカラー的仕事を強制するのと同じ結果をもたらします。欧米のことを学ぶのも憧れるのもかまいませんが、それが絶対の基準であるかのように思いこむのは、映画の世界のように単純に省略された世界を現実そのものだと錯覚しているようなもので、多様性とそこにあるチャンスを見失う結果となり、現実に合わないバランスを失った行動に走る結果に終わるだけです。
 しかし、欧米が正しいとかそれを真似した部分での日本のやり方が一番だというような、ばかげた先入観を捨ててしまえば、日本人には欧米的基準からは何も見えてこない国々から文化的にも精神的にも学ぶことは、いくらでもあるのです。私の場合は、特に感謝すべきことは家族や子育て、人情の豊かさ、生計の営み方など日本では分からなかった様々な柔軟な心と姿を台湾で学ぶことが出来たことです。私は台湾に来られたことを本当に嬉しく思っています。ですから、野心のある方は勿論、病んだ家族関係や社会的疎外感に苦しむ若者の皆さんにも、むしろお勧めしたいのはいわゆる先進国ではなく、アジアやアフリカの伝統的社会との出会いが、次のチャンスを開いたり、傷を癒すきっかけになるのではと思えてなりません。行き詰まったと思ったときは、思い切って海外へ出てみる、次世代の担い手である十代二十代の皆さんには、閉塞した今こそ、海外へ出てみることをお勧めしたいと思います。そして、二十一世紀には海外で育った人材と子供達が新しい日本を創り出すに違いないと思います。

第七回終わり

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