今回は、前回に続き政治感覚について台湾の人々と日本の人々を比べてみます

第五回 台湾の政治風土(二)

 公的分野で台湾と日本とが極端に違っているものの一つに、政治に対する人々の関心と動きがあります。端的な例を挙げれば、前回も取り上げた昨年末の総選挙です。特に激戦だった台北市長選挙と高雄市長選挙では、連日、支持者が自分の仕事を休んでまで応援に駆けつけ、選挙カーの行列を作ったり、深夜まで開かれるパーティーや集会に参加したりしていました。それも日本のように「会社から頼まれて」というような形で半ば強制的に動員されているのとは違って、自発的に集まって応援しているのです。また、支持者の階層も様々で、タクシー運転手や労働者など社会階層がこちらでは高いとは言えない人々から、ホワイトカラーのサラリーマン、いろいろな自営業者など、社会全体が関わっているという感じの熱気がそこには感じられました。
 激しい選挙戦が展開されるために、テレビ討論が急遽開催されて候補者が論戦したりしたのは、何かアメリカの選挙を連想させました。勿論当然、選挙に関わる買収やいろいろな工作などがあり、またや中傷合戦や「怪文書・怪広告」もあって、本当にお祭りといってもいいような熱のこもった闘いが繰り広げられました。前回も書きましたが、この点について日本人が何か批判できるほど日本の選挙は清潔でも理想的でもありません。ただ、選挙の運営はともかく、日本の選挙が国政から市町村まで全てのレベルで、いわばすでに「その業界に属している一部の人々のための特殊なもの」という感じで受け取られ、すでに一般国民が参加する意欲を失い、「形骸化」・「固定化」・「空洞化」しているのに対して、台湾では政治に対して「人間に生まれた以上、政治を考えないものは人間ではない」というぐらいの非常に高い評価があり、「男性であれ女性であれ、およそ野心があるものは政治家を目指すべきである」というのが常識であり、国民の意識の点で両国は全く対照的なのです。

 まず、政治意識の違いの一つは、台湾では高い教育を受けた階層が政治に積極的に関わっているという点です。ですから、両国の大学生を比較した調査をすれば、かなり歴然と二つの国の政治意識の違いが出るに違いありません。私の教えている学生に聞いた範囲では、今回の選挙について台北出身の学生達は「私は馬英九がいい」とか「陳市長でなければ」という気持ちをかなりはっきりもっており、大学の中でもよく政治の話が出ています。次は大統領選挙があり、それをめぐって既に次の闘いも始まっています。大学の教官出身者が政治家に転身する例は非常に多く、今回の立法委員(日本の衆議院議員)選挙の候補者一覧を見ても、台湾大学など国立大学の教官だった人達がかなり与党ばかりでなく野党からも立候補して当選していますし、議員や行政府の高官には博士号所持者や留学経験者が、どのような形のものかは別としても非常にたくさんいます。例えば、現職の李登輝総統(大統領)も以前は台湾大学の政治学の教授で、アメリカの大学で博士号を取得していますし、前台北市長の陳水偏や現高雄市長の謝長廷は同じく台湾大学出身で弁護士出身です。「知識人である以上政治を語るべきである」という歴史的な士大夫精神の伝統が今も生きているといっていいと思います。
 日本でも最近は高級官僚出身の政治家が多くなりましたが、この方たちをその履歴から考えて比較の例に出せば、知識人階級ではあっても同じ組織の中に長年属した年功序列の中での実務経験はかなりかたよっており、海外経験も積み、いろいろな社会実務も経験してきた台湾の知識人出身の政治家と比べたとき、人脈の広がりや見識の点でかなり疑わしい気がします。そして何より、与党以外には立候補しないという「寄らば大樹の陰」という考え方が、台湾の場合とはだいぶ違っています。また、少なくとも、積極的に政治的なものに関わろうとする人は、非政府組織やボランティアの形で参加している場合が多い日本と違い、台湾では直接政治家になるという道を選ぶ知識人が多いのです。
 
 また、政治に関わる階層が非常に多岐にわたっているため、お金ができたら次は政治家を目指すという人々が大勢いる点でも日本とは対照的です。台湾では「大金持ちは大官に等しい」という感覚があり、学歴はなくても、どんな出身階層であっても、資金と人脈があれば委員に立候補して当選できる可能性があります。今回の選挙でも、台北県選挙区に立候補したある人物は「裏の世界」の大物だそうですが、高い得票で当選しました。日本ではもう考えられないことでしょうが、このような例は少なくなく、「金権政治」は非常にはっきりした特徴でもあります。しかし、「金権政治」といっても、日本のようにその地区ではもうその人物以外は当選できないというところまで固定化していたり、特定政党でなければ当選できないということはありませんし、いわば議員の年功序列という感覚も存在しないので、与党のベテラン委員といえども有力な若手の前には簡単に落選してしまいます。とにかく、競争と現在の実力を背景にした台湾の「金権政治」は、日本のような年功序列型「金権政治」とは非常に違っていて、政治の世界でも適者生存という原則がリアルタイムで働いており、政治家が選挙区民に対してちょっと油断すれば二回目はもう無いのです。

 さらに、積極的に政治家が大衆と接触しているのも、政治感覚の違いの一つと言えます。人気のある政治家は、全盛期の李総統や連戦副総統にしろ、若手の馬英九、陳水扁、それから有力な次期大統領候補である台湾省省長(李総統により省が廃止されることになり、このポストは無くなる予定です)の宋楚瑜にしろ、大衆との接点を何より大切にしています。何か大きな事故があれば、その日にすぐ駆けつけますし、各種の大会や住民の集まり、抗議集会などにまでよく出席して、いろいろ話を聞いたり、援助を約束したりして、自分のアピールを忘れません。いつもは「業界内部」の闘争にだけ明け暮れ、選挙の時と有力な援助者にだけいい顔を見せる日本の多くの政治家とは、バイタリティーの質が随分違っています。台湾では政治家の実力のバロメーターの一つは、大衆との接点という点にあって、それが少なくなったら、確かにしばらくは「業界内部」でポストは得られるでしょうが、次回は危うく、次第に表に出られなくなってしまうのです。盛りを過ぎた李総統には、今はっきり日本式の密室政治の傾向があり、逆にそれが本人の衰えを感じさせ、椅子にしがみつくみじめさを教えているのです。その点が一番よくわかるのは、連戦副総統でしょう。内政での失策(特に治安関係の無策で失脚しました)で、いくら李総統が首相に再度指名するといっても結局何もできず、強引な地位への執着はますます国民の嘲笑を招いて、ついにはスポーツ大会などで大衆の前へ出ると「玉子」(中国語では「玉子」は「馬鹿」の意味でも使われます)を投げつけられるようになりました。台湾の政治家は日本の政治家より遙かに厳しい国民の注目を浴びているのです。
 以上、幾つか挙げてきた点から言えば、現在の台湾の政治感覚は日本よりも遙かに民主主義本来の熱気と関心をもっていて、選挙制度自体は1980年代以降に開始されたものであるにしろ、今のところ非常にうまく機能しており、政治家が自分の「業界内部」とそれへのパイプにこだわってさえいればいい日本とは違って、大衆が直接国政に参与する直接民主主義に近い伝統さえ既に形成されているように感じられます。特に、アメリカのように選挙で政権が交代すると行政府の幹部も当選者のブレーンに交代するという方式は、台湾でも実施されていて、今回の台北市や高雄市の市長交代に伴って、市の幹部も全部入れ替わりました。「自己肥大」しか考えないようになってしまったどこかの国の行政府の方々とは違って、選挙区民への行政府のサービスの低下は、台湾ではすぐに政権を交代させてしまうことになりかねません。この点にも、政治が生き生きした生命を保っている一つの秘密があるかも知れません。

 最後に、前回挙げたNHK記者の「民主化の進展」という評価が、いかに現実離れしたものかお分かりいただけましたでしょうか。私はドイツの選挙やイタリアの選挙について「民主化の進展」という評価をしたりするのが、少なくとも今の段階では全くばかげていて無意味なのと同様に、台湾の選挙についてこう言っていた特派員の見識を疑いたくなります。ドイツやイタリアの選挙報道でこんな言い方をする特派員がいたとしたら、それこそ懲戒ものではありませんか?しかし、ドイツは日本と同様、「君主政治」や「独裁政治」と縁が深かった国で、民主主義の伝統といっても、民主化の歴史の長さでは日本とそれほど変わったものではありませんし、イタリアは十九世紀末から別の意味で両極端の「独裁政治」勢力の闘争に苦しめられてきた国であり、イギリスやアメリカのような典型的な民主主義国家とは全く違う歩みをしてきました。これらの国と、果たして中華民国は民主主義において歴史的な違いがあるのでしょうか?
 ドイツやイタリアの民主主義の歩みを十九世紀末から認めるならば、それと同様に中華民国の民主主義もすでに一世紀に及ぶ歴史があり、また1950年以後、中華民国の台湾移動以後も今の民進党関係の方々による国民党に対する民主化闘争が続けられて、今日のような民主主義の伝統が生まれたのであることは、少しこの国の歴史を学べばすぐに分かることです。実は、民主主義の実質的な歩みにおいて、ドイツもイタリアも、そして日本も台湾もイギリスなどからは遙かに遅れて、ほぼ同時期に民主化をはじめた、民主化の中進国であり、伝統の長さという点では何ら違いはないのです。海外特派員ならばそのぐらいのことは知っていてしかるべきなのに、クーデターがー頻繁に起こる「カンボジア」や軍事政権下に完全におかれている「ミャンマー」と同列の視点しか、台湾の政界にたいしてとれないのは、あまりに悲しい感じがします。それはなによりまずアジアの歴史と多様さに対する無理解と無関心をそのままあらわしている気がすると同時に、歴史感覚と国際感覚の欠如を物語っている気がするからです。極言を恐れずに言えば、「ヨーロッパ全体=全て先進国」、「USAとカナダ=全て先進国」に対して「アジア、アフリカ、中南米=全て後進的かまたは発展途上」という二局に分裂した世界観を基本的に持っているため、実際にはそんな図式には当てはまらない個性を持っている様々な国々を、正しく見ることができないのではないかと思われるからです。
 私も日本を離れて台湾で暮らす内に、だんだん考え方が変わってきました。近代化といっても道は一つではないのです。民主主義の場合も、アジアのそれぞれの国が違う道を模索している段階で、日本が本当に先進的かどうかは、これから結果が見えてくるのではないでしょうか。

第五回終わり

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