今回は、間近に選挙を控えた次期でもあり、政治と人間の面から、台湾と日本とを比較し 、危機を乗り越える道を探ってみます。

1.日本の政治状況の変化
  今年(2003年)9月は日本の自民党総裁選挙がありました。また、衆議院選挙が11月9日に予定されています。一方、台湾でも来年3月に第二回目の民選総統選挙が行われ、これからの三年または四年、一国の行方を左右する人物を選ぶことになっています。日本でも台湾でも、同じように首長・議員選挙が控えている今、両国共に、難題をかかえた時期であり、必要な手当をしていかないと、傷がますます深まる危うい時期 と言えるでしょう。選挙などの政治的構造も文化の一要素と考えれば、こうした時期はその民族の性格が最もはっきり分かる、興味深い時期と言えるでしょう。政治という文化の側面から、今回は、日本と台湾を比較し、見ていこうと思います。
 まず、日本の場合から見ていきたいと思います。
 日本の自民党総裁選挙ですが、今回の選挙は、以前に比べると大分様子が違ってきたと言えるでしょう。派閥全盛期の最後と言える橋本内閣時代に、小泉首相が出馬しましたが、そのときは、まったく勝負になりませんでした。自民党内で、主流派に異論を唱える勢力が、首相の座に着くことは、考えられない時代でした。長く続いた派閥時代には、政治家・官僚・圧力団体などの支配層の身内で、誰を首相にするか勝手に決めているという感じが強かったのです。しかし、その後の自民党は選挙で大敗し、連立を余儀なくされ、 小渕内閣以後、何らかの改革を行う必要に迫られました。それを最もはっきり掲げたのが、小泉首相でしょう。日本の支配層の既得権益を代表する自民党全体が改革を掲げた小泉首相の政策に従わざるを得ない状況に、なっていったのです。そうした中で、 小選挙区の定着、政治資金の規制、情報公開など、より情報が公開されやすい制度が定着し、派閥という密室で行なわれていた利権・既得権の分配構造が弱まり、政治家が自分の選挙の心配を 個人で第一にしなくてはならない変化が生まれて来たのではないでしょうか。
 今回は、どの候補者も「改革には贊成だが・・・」と言わざるを得ない状況があり、以前のように「公共工事を大規模に・・・」と利権を餌にしたり、「人心を一新して・・・」というような空踈な常套句はもう簡単には言えない状況にあります。 9月7日のNHK日曜討論で、各自民党総裁立候補者の「政策」を聞きましたが、「改革は正しいが、やり方がおかしい」というような論調では、三人の対立候補はまったく同じであり、以前には考えられないことだと思われました。さまざまな批判はできるにしても、小泉首相が明確化した「改革」は、与野党ともに体質を変えざるをえない状況を造りだしたように思えるのです。
 その変化の一つは、「政策」が首相やその候補者の口から、曲がりなりにも「公約」として言われるようになったことでしょう。「日本列島改造論」とか「ふるさと創生」のような名分とか、「構造改革」のような大義は、以前の内閣でも掲げられていましたが、国民に直接理解を求める内容とはほど遠いものだったと思われます。「日本列島改造論」とか「ふるさと創生」には、一定の評価がされているのかもしれませんが、巨大な財政赤字の基がこの二人の首相の時代に大きくなったことを考えれば、これは、本当の問題を隠して国民を欺瞞したということも一方では言えるでしょう。「構造改革」の場合も、政治家・官僚・圧力団体という構造的瘉着にはふれず、省庁再編など形式のみを改め、一部業界の人が何か特殊な目的を持って勝手にやっているという印象は消せませんでした。その首相は、「スキーマ」、「スキーマ」と叫んでいるだけで、何をどうすれば今後の道が見えてくるのか国民には一言の説明もありませんでした。その時の消費税値上げで、自民党が大敗したのも当然でしょう。こうした派閥政治時代に比べれば、今、そうした情報隠蔽は、はるかにしにくくなったと言えるでしょう。「政策」など凡そなさそうな候補者でも、政策らしきものを無理にでも言わなければならないのです。そうしなければ、たとえ首相 ・議員になっても、次期選挙で負けるまでの超短命政権になってしまうかもしれない。こうした緊張感は、以前の 派閥全盛期の政治家からはまったく感じられませんでした。日本が変わる兆しとして、これは、大きな意味を持っているできごとだと言えるでしょう。
 その背景には、日本を苦しめる多様な問題が切迫していることもあるでしょうし、 金融不安とデフレが続き、公共事業等への監視も強まって、支配層が今までのように簡単に既得権を維持できなくなり、組織票が弱体化して、政治家の仕亊ぶりに国民からの監視が厳しくなったせいもあるでしょう。また、貯蓄ゼロの世帯が20%もあるのに対して、資産を増やしている世帯も同時に増え、国民の分化が確実に進んでいるなど、今までと同じ生き方ではもう生きられないという現実も、目の前に迫っていることもあるでしょう。いずれにしても、次第にこのままでいいのかという疑問がだんだん拔き差しならない状態に来たということは言えるでしょう。

2.日本の現状
 今の小泉「改革」では、確かに十分とは言えません。しかし、停滞していた日本が変わり始めた徴候ははっきり出ていると思われます。これからは、どのように進路を取っていくかが重要でしょう。その際、まず、考えるべきことは、自分達の現状はどうなのかということです。    
 例えば、日本の客観的経済状況はどうなのか?以下は素人判断なので、こんなことも考えられるかというだけのことですが、日本の国債の格付けが下がり、塩川財務相が抗議したという話題は去年(2002年)でした。しかし、国債などの格付けをしているムーディーズやJ&P などのホームページを見ると、今でも、ランクは変わっていないようです。ムーディーズの今年9月のランクでは、日本のランクは、外貨建長期では主要先進国はもちろんヨーロッパのスペイン、デンマーク、ノルウエーなどより下、バミューダ、ベルギーと同列、自国建長期では、さらに下がってバハマ、チリ、ハンガリー、ボツワナなどより下、イスラエル、キプロス、ポーランドの自国通貨建と同じです。香港ドル建債や台湾の台湾ドル建債は、日本円建より二ランク高く、日本円建の直ぐ下位は韓国ウオン建という状態で、日本円建の国債は、既に国債としての 国際的信用を失っており、債券市場では、日本円の信用は途上国並に落ちてしまったと言えるでしょう。外貨建ての日本国債はある程度の信用を維持し買われても、日本円建ての信用は 90年後半に金融恐慌をおこした韓国ウオン建てとほぼ同等の信用しかないのです。GDP世界第二位の国の通貨が、要注意レベルの国々と同じ程度の信用しかない。この事実に、素直に目を向ける必要があるでしょう。結局、日本円の信用に危険があるのです。こういう状況で、 「景気を浮揚する」、「地方を救う」と言っている政治家は「補正予算」、「公共事業」などで景気を浮揚することができるのでしょうか。日本の不景気の一因は、 余りにも借金がかさんで円の信用が確実に失われていったということです。つまり、円はずっと国債増発を続けたバブル崩壞後の10年で「空手形」に近い国際通貨として扱われるようになったということです。国債という形での通貨量が、 膨大になりすぎて、国際通貨としての信用を失っていると見るのが妥当でしょう。これ以上、効果が出るかどうか分からない、国債発行を続けて 役に立つかどうかわからない公共事業を続けてよいのか?江戸時代の戝政難と同じことが私達に起こっているという比喩は、単なる比喩ではもうなくなっているのです。
 もう一つ、ムーディーズなどの格付けを見て思ったことは、危険なのは、日本の大半の銀行と保険会社の信用不安だろうということです。日本の銀行や保険会社の格付けは、大半が投機的要素が強い (一応投資の対象だが、損害になる可能性がある)「B」ランクで、国際的信用が既にありません。 「C」ランクは投資できないレベルですが、日本の銀行の幾つかは「B」の最低ランクに近い評価です。「A」ランクの銀行は、「A」の最低評価のレベルで地方行にいくつかあるだけです。 80年代に「A」ランクの最高位に並んでいたと報道された日本の金融業は、今や、見る影もない、慘憺たるありさまです。国内ではどうであろうと、国際的には既に先進国の銀行の扱いはされていないといってよいでしょう。さらに、円に信用がないため、取り引きをするのにプレミアを付けないと資金運用ができない状態になっています。国内は不況のため有利に資金運用できず、国外での取り引きでも円建資産への評価が下がり利益が出ないため、ますます、信用を失っていく。これは、日本という社会のお金の使い方に、国際的に大きな不信感が生まれていると見て、いいのではないでしょうか。 不要な公共工事・非能率的な政府−>巨額の国債発行の持続−>信用不安−>銀行・保険の経営不安−>日本経済への不信が強まるという、信用不安の連鎖が、今、続いていると思われます。今、やっと歯止めがかかった国債依存の消費構造に再び戻れば、恐らく、税金投入できない数の銀行や保険会社の連鎖的破綻が起こり、金融恐慌という事態も考えられます。そのぐらい、日本の通貨と金融に対する信頼感は失われているのです。資本主義の要である、金融・財政システムが機能していない以上、その国の資本主義が衰退していくのは余りにも当然なことです。 財政・金融のシステム崩壊を景気対策で救うのは、もうどうしようもないというのが本当ではないでしょうか。
 借金のし過ぎで信用を失った人が信用を取り戻す道は借金を返す以外にありません。生活の仕方を変えない限り、日本の再生はありえないと思います。

3.なぜ日本は衰退しているのか?
 では、なぜあれほど成功した日本の社会が、今や、衰退の一途をたどっているのでしょうか。社会が衰退する原因は、いろいろ考えられるでしょう。 政治の責任が大きい、あるいは、政治がだめだから今のようになったという見方も確かにできます。台湾の場合はまさにそうです。国民に十分なパワーがあって、社会的活力が高いのに(若者が多い、家族が健全であるなど具体的な指標をあげることができます)、成長が止まってしまうのは、明らかに冨の分配と集中に関わる政治の問題です。台湾の現状はまさにそうだと思います。国民の力を政治が削いでいるのです。一方、台湾との比較で言えば、 日本の場合は、大きいのは、日本の「人間」の行動に大きな問題が起こってきたからだと思います。その手掛かりは 日本経済全盛期の80年代に作られた日本語教育用の教科書にあります。そうした教科書を見ると、今では、全く「虚偽」としか思えない、多くの「日本人伝説」に出会います。以下にいくつか並べて見ましょう。
 @「日本人は勤勉である」
 総労働時間が3000時間近かった70・80年代には、確かにそうだったのでしょうが、2000時間を切った現在、日本人全体が一生懸命働いているとはとうてい思えません (もちろん過労で自殺なさるような方がいて、日本を支えているのは確かですが、総体的に效率よく働いていない人が確実に増えていると思います)。 もちろん短い時間で高い冨を生み出していれば問題はないのですが、日本はそうではありません。欧米の研究機関は、現在の日本の生産性を途上国並と評価しています。台湾やシンガポールにはるかに及ばないのです。
 生産性に大きな問題があるのは、サービス業の営業時間を見てもわかります。たとえば、台湾のデパートは、季節に応じて朝11時から夜8時〜10時の営業時間です。最長の場合、一日11時間営業しています。また、一般のスーパーでも24時間営業は少なくありません。どの季節でも朝10時〜6・7時の営業時間しかなかった日本のデパートやスーパーは、明らかに営業サービスの点で見劣りします。 また、「6時過ぎると死んだようだ」と言われる日本の地方都市と比べると、台湾の地方都市の活動時間は、日中と夜の二つに分かれます。大小の商店はもちろん、台湾の飮食店も、多くは深夜まで開いています。日中は日中、夜は夜という二つの消費時間帯に応じて、街のサービス業は活動しています。台湾の場合、こうした商業活動を支えているのは、個人の驚異的な長時間労働ですが、そのお陰で、夜になると飮み屋街しか明りのない日本の街とは大違いです。日本のサービス業の多くで、景気が悪いのは、サービスの提供の仕方に問題があるように思います。街として機能している台湾の販売サービス業に比べると、そうした横の繋がりのない、孤立した日本の販売サービス業が、消費行動に対応できなくなったと同時に、街作りの点でも個々バラバラの状態になって 、都市を殺しているのは当然のように思われます。台湾の場合は、夜市、伝統市場など長時間労働をしても比較的安い投資で苦労が報われる街の経済システムが機能して、街の生産性を高めていると思われます。
 つまり、日本では、街の機能/商業機能の組み合わせが、うまくいっていないために、地方都市がどんどん疲弊していると思われるのです。その背景にあるのは、居住地選択の誤りが大きい 要因かもしれません。日本の主要都市は通勤時間が長すぎるという点が大きな障害でしょう。通勤時間二時間の人は、労働時間+通勤時間4時間という、非效率な長時間労働をしていることになります。台湾の場合、自営業者が多いので、上が住宅、下が店舖という形で、通勤時間の分を営業時間に回せます。また、サラリーマンでも通勤は1時間以内という形で、居住地を選んでいる人が大半です。持ち家にはまったくこだわりませんし、過密なマンションでも、みな喜んで通勤時間の短い方を選びます。というのも、家族を大事にするには、そのぐらいの通勤時間でなければ、不可能だからです。勤務地まで二時間以上も離れた土地に一戸建てを平気で買おうとする人が多い日本人は、やはり、大切なものは何かという感覚が、ずれているように思われます。
 結局、日本では、何のために働くのか分からない(働くために働く、年金のために働くなど)−>非能率な通勤+長時間労働の選択−>労働生産性の低下・消費行動の不健全化(安ければいい)・家庭の崩壊・教育の荒廃・地方都市の機能不全という連鎖的な、社会荒廃構造が形成されてしまっているように思われます。 大半がはっきりと家族のために働いている台湾人は、家族を守る−>短い通勤・長時間労働の選択−>收入を家族に使う−>家族の絆・身近な商店街での消費・地方都市の維持という形で、不況下でも希望を失わずに生きています。台湾の不況は、政権交代による政治的要因が大きいと思われますが、日本の場合は、以上のように人の変化が大きい要因だと思われます。
 A「日本人は米食で魚を食べる」
 日本語教育の教科書にはこう書かれています。確かに、今でもその通りですが、食べ方は随分変わりました。たしかに米は主食です。しかし、食べるのは美味しい米であって、普通の米ではありません。「ブランド米」のような特殊な米に、消費が特化しているのは、今年、米の不作のため、「ブランド米」が大きく値上がりしたり、盗まれたりしているのを見ても明らかでしょう。98年の大不作に米が不足するということで、東南アジアの米が大量に買い付けられましたが、まったく売れず、飼料にされたり、廃棄されたりしたニュースは記憶に新しいところです。「日本人は米食である」は 今では説明不足で、「日本人は好みに合った米しか食べない」というのが現在でしょう。
 「魚を食べる」も同様で、かつてのように近海で捕れる魚を食べているわけではありません。世界中から日本人の好みに合わせた「白身魚」、「マグロ系統の魚」などが買い集められています。最近は健康ブームで「青魚系統の魚」も見直されてきましたが、これも米と同様、食べる魚の食べ方は限られており、また、種類も決まっています。かつてのように、不味いものでも工夫しておいしくすることで多様化してきた日本の食文化は、質が全く変わり、好みのものだけを選んで、決まった料理法で食べることに変わってしまいました。
 また、テレビの料理番組を見ると食文化の面での多様化が進んでいるようですが、明治期や20世紀後半のように海外から入った新しい食材や調理法が大きく発達して農業や食生活を変えていくようにはならず、今は特定の調理法や材料の中での「選択」だけが進んでいるように見えます。例えば、中華料理ですが、これだけ自由な交流ができるのに、日本での中華メニューは、いまだに「麻婆豆腐」や「醋豚」だったりするのです。台湾でも夜市に行けば、ラーメンだけでも十何種類も見つかります。大陸でも未だ日本人が知らない料理は數え切れないでしょう。なぜ、中華料理の他の調理法や食材を取り入れて、日本風にアレンジした新しい料理が生まれてこないのか?多様化しているようで、日本人の味覺は一定の感覚刺激しか受け入れないように、柔軟性を失っているのではありませんか。食文化という最も基本的な部分で感性の硬化が始まっているのは、 よく言えば洗練ですが、むしろ人間の生命力の衰えを象徴しているように思われます。
 そして、「米を食べた」時代の農業社会的な人情や勤勉さも、とうに失われています。NHKの「課外授業ようこそ先輩」を見ていると、農村部の子供たちも川遊びや山遊びを全くしなくなり、自分の村に何があるのかさえ知らないという現状がよく伝えられています。それで、自然観察を先輩が教えるというのですが、それぐらい、農村 ・漁村の足腰は弱っているということではありませんか。食生活という文化の基本が揺らぐと同時に、食生活を支えた産業・社会・意識構造も既に危機的状況にあるというのが、今の日本だと思われます。
 B「日本の企業は効率的」
 日本語教育の教科書には、このような言い方に代表される「終身雇用によるモラルの高さ」、「QC活動による高い品質」など、 日本経済の成功を讚え、その特徴をしるした経済に関する記述が多くありました。しかし、90年代のIT革命やグローバリズムの進展によって競爭すべき内容が変わってくると、こうした長所は影を潜めてしまいました。ある部分を生かし、ある部分を変えていかないと生き残れないのは、日本でも台湾も同じです。
 そうした点を考えるとき、家内が言っていた言葉を思い出します。家内は、留学時代、今巨額の負債の返済と再建が問題になっている日本のある大手スーパーでアルバイトをしていました。POS(価格データ管理)の担当でデータの入力をしていましたが、勤務していたとき、入力すべき元データの間違いが多くて、入力をし直したり、管理職がうまく人員を配置できなかったりして、能率が悪いとよく言っていました。ちょうどバブル期で、まさか十年後に今のような悲惨な状態になるとは思いもよらないことでしたが、考えてみれば、アルバイトの学生にもわかる非能率な運営を、全盛期にそのまま続けていたわけですから、その他にも多くの不適応状態が生まれていたことは、想像できます。当時は優良企業と言われていたこの大手スーパーですらこのありさまですから、多くの日本企業で同じ様な状態が生じていたのは、当然です。 今、日本企業を苦しめている一因は、そうしたバブル時代までに生まれたいろいろな慣習、非能率、人員配置、無駄な事業などでしょう。順調な次期には、それは表に出ませんでしたが、一度環境が悪化してみると、致命的な欠陥になってしまったというわけです。 成功の中で自分を滅ぼす種が育っていたというのは、歴史上、よく聞くところです。
 そして、もう一つ、現在の社会では、経済活動であれ教育活動であれ、効率的であると同時に、消費者の需要に的確に応える、あるいは、受容を喚起するような、質的側面が強く求められています。単に能率を上げただけでは もう通用しないというのは、輕自動車メーカーで開発や生産ライン配置を担当してきた父の退職後の言葉です。「クローズアップ現代」で取り上げたコンビニ戦略などで も、いかに消費者に即応するかを説いていました。教育の現場でも、文部科学省の「ゆとり教育」とはちがう形で、個性的で獨創的な人材の育成が求められています。いずれも情報の質的な側面を判断する能力が要求されてきているものだと言えるでしょう。質的判断とは、 一面では、混沌とした状況をその性格に合わせて整理し、今まで分からなかった規則を発見する能力です。どんなゲームがおもしろいのか?答えはゲームをする人の行動を見て、規則を見つけていくしかありません。何が売れるか、何がおいしいのか、どんな茶碗がいいのか・・・万事がそうです。これは決まった知識で何かを分類する演繹的方法ではなく、現象に忠実に整理をして規則を導く帰納法です。これは繰り返し、その現象を観察するところからしか答えは見つかりません。「本」にも「外国」にも答えがもうない場合が、ほとんどなのです。
 動いてみなくては答えのでないときに、どこかに正解はないかと探したり、人のまねをしてみても、もう役には立ちません。アメリカが入ってきたからこうなったのではなく、消費社会が成熟し変わったから、こうなったのです。日本が成功体験にこだわりすぎたといわれるのも、そのとおりだと思われます。行動の仕方をかえるしかないときに、変えてこなかったのです。 かつての大日本帝国についても、同じ欠陥が 言われています。日本軍の戦術は、大戰後半になると連合軍に完全に見抜かれていました。よく言われる陸軍の、敵の背後に小部隊を送って挟撃する迂回戦術ばかりではなく、零戦の一騎打ち戦法、護衞なしの輸送船団、空母機動部隊のアウトレンジ戦法など、海軍の戦法も既に見抜かれて、対策を立てられていたのです。しかし、日本軍は最期まで同じことを繰り返しました。戦闘機はアメリカ式の二機一組で一撃だけして離脱する戦法は最後までまで取られず、一騎打ちにこだわり多くのベテランパイロットを失っていきました。輸送船団に本格的に護衞を付けた時期は、昭和19年以降で日本の制空・制海權が既に失われており、輸送船の大半は既に失われていました。最後の空母決戦・マリアナ沖海戦では、アウトレンジ攻撃をかけた日本の攻撃機はアメリカ軍のレーダーにより捕捉され、待ち伏せを受けて大打撃を被り、突入した残りの機は近接信管による正確な対空砲火でほとんど打ち落とされてしまいました。海軍でも、かつては大勝利につながった戦法が、今度は軍を壞滅させたわけです。
 かつて成功していたという思い出が、自分を変えるのを恐れさせるのでしょう。企業の中には、既にそうした苦しい転換を為し遂げたものもありますが、国を支える人の意識は相変らずです。なぜ金がないのに海外旅行へいくのか、海外でつまらないブランド品を買いあさったり、売春=日本人というイメージを持たれるほど自墮落な遊び方をしたりするのか?「海外旅行に行く金があるなら、自分の地域のために使えばいい」という人が誰一人でない日本人は、やはり惰性で自分を経済大国の一員と思いたいのでしょう。この二十年間で、日本人の行動は、言ってみれば確実に固定化しています。しかし、大国の実力を失った国が大国の振る舞いをするのは、身の程知らずです。   

4.日本再生の道 
 以上のように、日本人の行動が、この二十年間で大きく変わってきたことが、結局は今の衰退に繋がってきたということが言えそうです。衰退の原因は、生活や毎日の仕事に病が隠れていたということです。 政治が悪いというのは、日本の場合、社会の停滞・腐敗・退廃を放置したという意味ではそうですが、日本が衰退している本来の原因ではないと思われます。
 惰性で今までの行動を続けようとする日本人の眼を覚ますには、今の小泉改革のような苦言が必要なのです。改革は病を食い止めようとするものであり、痛みをともなうのは、当然のことです。痛みと言っても、 実は、今までの虚栄、贅沢、退廃、道楽が気楽にできなくなったという程度のことではありませんか。生活が一時期悪くなったなら、次にチャンスを見つけて取り返せばいいことです。今まで必要のないことを多くしすぎていたのなら、必要かどうかを考え直せばいいことです。大切なことが分からないと言うなら、分かっている人にあって本当の教えを求めればいいのです。当たり前の道理だが社会全体が変わらないからしかたがないという思いを抱くことがあるかもしれませんが、自分のところからできることはたくさんあります。たとえば、もし、失業中ならどうすればいいでしょうか。確かに大きなショックですが、転職の機会を与えられたということでもあります。残っている資金で、次の仕事につながる技術を身につける、都会の生活を捨て、故郷に戻るなど、新しい可能性に賭けるのも一つです。家族がかわいそうだというなら、これも逆で、一緒に苦労するから家族なのです。家のローンが払えないなら、整理して、住むところがあればいいと割り切ればいいことです。私は、今の持ち家は、もし中華人民共和国による台湾攻撃が始まれば、ただのゴミに過ぎないと思っています。あくまで仮の住まいです。子供が進学できないというなら、今は社会人教育として就業後に進学する道もあります。職人を選ぶという選択も大きな可能性があります。まっとうに生きていく道は、世間体や周囲の人に基準を合わせず、自分の家族が助け合って生きていけるかに価値を置けば必ずあるはずです。「隣り百姓」でのうのうと贅沢ができた時代は終わりました。しかし、何が大事かを知るチャンスが今、日本には生まれているのです。本来の自分に返る人が多くなればなるだけ、日本には新しい可能性が生まれて来ます。
 今、NHKの朝のドラマで「てるてる家族」を流していますが、台湾の雰囲気とそっくりです。家族が多くて物は少ない、子供が多い、人の行き来が盛んだ、下町の庶民的な感じなど、日本が忘れていった大事なスタイルが随分、登場しています。取り戻すのは、簡単なことです。何が大事か自分が決めるだけです。家族が大事なら、そのように生き方を改めれば、いいことです。日本の家庭にはおそらく台湾の10倍以上も、いろいろなものがあふれているでしょう。それは、日本人がこの20年、人・家族より物(金、地位、外聞・・・)を大事にしてきた結果です。そういう生き方を一人でも多くの人が変えれば、自ずと日本再生の道は開かれると思われるのです。

第18回終わり