第三回は都市環境と住宅をめぐる日中両国の比較・考察です。

第三回 台湾の都市環境と住宅事情


同じ東アジアの文化圏といっても、台湾と日本とは都市環境と住宅事情が随分違います。基本的特徴としては、台湾の都市は中心部集中型であるのにたいして、日本の都市は郊外拡散型と言えます。これは、歴史的な比較においても言えることかも知れませんが、中国の都市の歴史は非常に古く夏王朝や殷王朝の時代に既に王宮を中心にした城壁のある都市を形成していたことがはっきりしています。都市文化の歴史では中国文化は世界有数の長さと内容を持っています。しかし、日本人が都市らしい都市をやっと造り始めたのは六世紀から七世紀にかけてで、中国に比べればおそらく二千年以上の開きがあると言え、日本の都市文化は、非常に若いと言えます。
 また、都市建設の思想も違っています。日本人は奈良・平安時代に隋や唐の都市をまねた中国風の都市を造ろうとしましたが、都市計画は真似ても、煉瓦と石を中心に造られた中国の都市に対して、日本の都市は基礎を除けば全くの木造で、結局全く基本的条件が同じようにはなりえなかったのです。中国の都市には永続性への志向がはっきりあるのにたいして、日本の平城京や平安京には「咲く花の匂うがごとく今盛りなり」という現在性しかなかったといっても言い過ぎではありません。
 また、都市の発展過程も全く違っています。中国の都市は政治都市であるのに加えて、軍事都市であり経済都市でもありました。現在、大陸にある都市はいずれも非常に長い歴史を持ち、例えば「北京市」は既に戦国時代の燕の都市として原型が造られた、二千五百年に近い歴史がある都市です。これだけ長い歴史を生き延びてこられたのも、政治的中心であると同時に、軍事と経済・文化の中心でもあるという複合的な役割を持っていたからでしょう。現代中国語では都市を「城市」といいますが、こじつけた解釈をすれば、「城壁で囲まれた市場」ということになります。日本人の都市のイメージとは随分違います。
 一方、日本人の都市の原型は戦国時代に形成された城下町・門前町・宿場町・港町などで、何らかの人を集める役割を持ったセンターの周りに自然に人が集まって形成されたもので、中国のようにその町自体がその地区の全ての機能の中心となるものとは違っていました。軍事面では城下町といっても防備を担う「要塞」があるだけで町を囲った城壁があるわけではなく住民は戦闘には全く関係なく、また、門前町は信仰の中心、宿場町や港町は流通・経済の中心ではありましたが、政治上の意味はほとんど持っていませんでした。中国の都市と比べると、日本の都市は何かの役割を持った一時的な人の集合地という感じがします。

 この都市形成過程の違いは、現代でも端的に現われていると言えます。台湾に話を戻すと、台湾の住宅はかつては煉瓦造りまたは石造りのものが一般的でしたが、現代ではコンクリート造りが一般的です。そして、一戸建てではなく、三階建てから五階建てくらいの長屋形式で、道に沿って並び一階や二階部分は店など商業目的に利用し、上層部分を住宅にするという形です。町の中心に近い部分はこのような住宅兼商店形式の「公寓」が密集しています。一方、最近は都市部への人口集中のために住宅不足となり、このような「公寓」形式ではなく、高層マンション形式のものが多くなってきました。今、台北、台中、台南、高雄の四大都市圏で新築される民間用住宅はほとんど高層マンション形式で、再開発された中心部の土地や郊外の新興住宅地は十階から三十階建てのこのようなマンションが林立しています。
 台湾は平野部が西海岸に広く展開していて、農村部など郊外に日本のように新築の一戸建て団地を造っても良さそうなものですが、安くても人の少ない農村部の一戸建てに移る希望者は少なく、都市内部での再開発地でなければ大都市近郊での開発地に人気が集まり、地価の関係で一戸建てではなくマンション式になっています。つまり、台湾の人々にとっては、まず都市のにぎやかで便利なところに住むことのほうが一戸建ての家に住むよりも大切なことで、都心に人口が集中する結果になっています。(また、実際一戸建てに住むのは自分で警備会社と契約できるぐらいの財力のある階層でなければ、治安の問題もあって不可能なこともあります。)
 日本の場合、都市の周辺には広大な面積に一戸建ての密集した新興住宅地が広がっていく結果、人口分布はますます「ドーナツ」化し、それにつれて通勤時間も益々長くなってしまう結果になっていますが、台湾の場合、多少の「ドーナツ」化はあるとしても、一時間以上通勤にかけるぐらいなら、借家で過ごすサラリーマンが多いのも確かで、日本のように中途半端で無意味な都市部の拡散は起こっていません。
 どのような住み方を好むかは民族による個性がはっきり出るところなのかも知れませんが、住み方は実は社会運営上も重大な影響をもたらすものなのです。

 特に、このような違いからくる影響は、現在のような低成長・停滞時代、高齢化社会になってみるとはっきり示されてきたと思われます。
 まず、集中していない日本の場合、大都市地域と地方との格差がますます大きくなっているのではないでしょうか。同じ人口あたりでは、集中している台湾の方が小さな都市でも経済効果が高く、それなりの経済活動を維持しているように思いますが、日本の場合、集中していないために「内部需要」を喚起する力が無く、小さな地方都市は「衰弱」といってもいい状態に置かれているのではないでしょうか。今、失業率の急上昇と産業衰退に苦しんでいる日本の地方は、いづれも集中が遅れている地域だという共通点があるように思えます。地域格差が大きくなり、それが人口問題に拍車をかけるという悪循環は日本が戦後、何時も繰り返してきた大きな失敗で、現在も少しも変わっていません。
 第二に、日本の場合、集中が遅れている地域を維持するために、その地方への投資が政府主導の形で進み、その極めて「非能率・非効率」で、場合によっては全く意味がない予算投下により、現在のような経済衰退期に入ると、資本が極端に分散されて集中すべき部門への予算集中を妨げ、結果的に全体がまた衰退していくという悪循環に陥っているのは明らかです。一方、集中している台湾の場合、農村部へ選挙のために資金投下をする日本のような習慣や政策は無く、ドライな言い方をすれば「限られた資金を最も効率的に投資する」というのがやり方のようです。人口が集中している西海岸沿いには、1970年代から高速道路、空港、港湾、工業団地など基幹産業を担う施設が次々に建設されてきましたが、人口の少ない地域にまでそれを広げる政策は全く行なわれていません。集中させる弊害は確かにありますが、社会の力が弱まったり小さいときには、集中させて回復をはかったり成長をはかったりするのも社会の一つの生き残りの手段かも知れません。
 最後に、高齢化社会になって日本では社会組織が維持できない山村・漁村・農村がますます増え、深刻な社会問題になっていますが、同じ高齢化に直面しているヨーロッパの国々が果たして日本と同じような地域社会の崩壊現象に苦しんでいるでしょうか。人口密度では日本より遙かに低いヨーロッパの国々が地域社会を維持しているのは、都市と周辺部との棲み分けがうまくできているためではないでしょうか。一方、日本では地方の都市への集中が十分でないために地域の中心としての機能が果たせず、それ故逆に周辺の山村・漁村・農村が衰弱していく結果になっていると思われます。言い換えれば、人口を集中した都市の集中度が日本の場合低いために、ヨーロッパの同じ人口の都市ならば10の機能と能力を発揮できるところが、3ぐらいしか発揮できず、地域の中心としてその地方を支える力が弱く結果として人口を提供した周辺部の力をも弱めているということです。
 都市文化の古い伝統を受け継いでいる台湾の場合も、ヨーロッパと同様、ある程度周辺部の力を維持しながら、地域の中心としての機能を果たせる程度に集中しているといってもいいでしょう。例えば、台湾の人口は九州地方と中国地方を合わせたぐらいの約2100万人ですが、経済レベルは両地方をあわせたより遙かに高度です。両地方の中心は福岡から広島、岡山にかけてで、山陽道沿いの人口は合わせても500万程度でしょうが、台湾の場合は四大都市圏で800万以上、実質的には約二分の一ぐらいまで集中しているのです。日本の場合は、郊外分散型の都市になってしまうために十分に集中した都市を造るのが地理的にも難しく、結果として十分に内部需要を喚起するだけの力が無く、せっかくの地方都市が十分に成長できないで、結局ただの人口の集りに過ぎなくなるという本質的な問題があるように思われます。

第三回 終わり