今回は活力を取り戻すために何が必要なのかを、両国の文化的活力の点から考えてみます。

 ある民族の文化的活力を海外文化との接触の仕方から考えてみると、日本と台湾ではかなり対照的なところがあることに気がつきます
 台湾社会の文化的活力を端的に示すものとしては、食べ物の流行があります。ここ数年毎年違うものが流行しています。一昨年は日本の「しゃぶしゃぶ」、去年は日本のラーメン、今年は日本の山芋という具合で、日本の食文化に大変な関心が集まっています。外国の食品を取り入れるというのはどこの国にもあることで、それ自体は決して珍しいことではありませんが、ただ、面白いのは、それらの食品を取り入れるとき、日本のものを忠実に真似するというのではなく、台湾式に消化しているということでしょう。「しゃぶしゃぶ」はタレがだし汁やニンニク入りになっているのと、豚肉や牛肉だけではなく海鮮を入れたりしている点で、日本の「しゃぶしゃぶ」とは全く違った鍋料理になっています。ラーメンでは「日式ラーメン」という名前でこちらで出ているものは、実は台湾式の麪類とスープが違っているだけで、後は台湾の麪類と違いがあまりありません。日本風のだしの取り方を取り入れて、豚骨スープやみそなどを使うようになったという変化です。名前は同じですが、日本にあったもともとのものとは全く違うものに変化しています。
 特に感心したのは山芋の食べ方です。日本ではおろしてとろろ汁にするか、千切りにして食べるかぐらいしか使い道がありませんが、こちらでは山芋は「山藥」と言って漢方薬の一種として扱われ、こちらで人気のある豚カルビのスープの具にしたり、すりおろして牛乳と混ぜてジュースにしたりしています。食べてみてなるほどこういう食べ方があったのかと感心するぐらい、おいしいものです。日本ではしなかった食べ方を新たに発見しているのです。
 「海外の文化」というと、今の日本ではまず欧米の「思想」「芸術」「衣食住」がまず頭に浮かぶくらい我々の思考は固定化し硬化していますが、「衣・食・住」という生活の基本的な様式を文化の基本と考えれば、世界中のどの民族からも学べることはあるわけで、そういう点で、台湾の柔軟性は高く、欧米、日本だけではなくアジア圏の途上国からも様々な特に食に関係した文化が取り入れられています。それも今、例に挙げたように外国にあるものに触発されて、自分の元から持っていた要素を豊かにしたり、変化させたりという取り入れ方で、日本人が今、異常にこだわっている「本場」とそっくり同じという考え方とは一線を画しています。
 日本の場合、エスニック料理にしても、イタリア料理やフランス料理にしても、頭のどこかに「本場」という観念があって、海外に元あった味をそのまま移そうとして苦労しています。確かにそれがおいしかったからそのまま取り入れようということなのかもしれませんが、食という生活に根ざした文化は、その民族が暮らす地理的風土と切り離して考えることはできません。食材自体全く違うのです。だとすれば、日本式の変形や改良があってもいいわけで、味付けや盛り付けまで「本場」と全く同じにする必要など実はありません。台湾の食文化の吸收を見ると、自国でできる料理に変形させてしかも新しさがあり、それ以上のおいしさを出すのが、食文化を学ぶ基本です。ただ、料理で言えば、日本の食文化には、調理法が未発達な部分があり、台湾のように元からあるもので対応しきれるかどうかといえば、かなり疑問があります。
 基本的に日本の料理は、醤油、味噌、塩など単一の味つけ材料で味つけし、それに食材やだしの材料でうまみを添えるというような食べ方をする傾向があるようです。代表的なものは「日本式カレー」でしょう。カレーのルーを作るのが大変ですが、一度ルーという単一の味つけ材料ができたら後は適当な材料を入れればできあがりという実は大変単純な料理です。台湾の場合、「甘い・辛い・酸っぱい・鹽辛い」などという基本の味の組み合わせがあって、そのような材料のうまみを引き出し組み合わせてほどよい味にするという料理の仕方をします。日本式の味付けが様々なうまみの取り方はあるとしても結局「塩味」なのにたいして、台湾式の味付けは、「甘い・辛い・酸っぱい・鹽辛い」の組み合わせにあります。逆に言うと、日本の場合は、雑味を削ぎ落としていってうまみと「塩味」の澄んだ味に持っていくことを料理と考えていますが、台湾の場合は、「甘い・辛い・酸っぱい・鹽辛い」の組み合わせをいかに変化させるかに主眼があると言えるでしょう。従って、日本人より味の好みに幅があり、柔軟性があると言えます。海外の料理を取り入れる場合も、日本人は海外の料理を食べておいしいと感じたその微妙な組み合わせを再現しようとするのにたいして、台湾人は目新しい味の組み合わせかどうかを求めているとも言えます。
 ただ、経済的に活力があったかつての日本人には、グルメ指向に強迫観念を持つようになった今の日本人のような「本場」指向はありませんでした。例えば、代表的なものは「日本式カレー」でしょう。私がかつて印度へ旅行したとき食べた、庶民が食べている印度カレーは香辛料に塩を加えただけのルーで、どんな材料を入れてもそのような極めて極端な味しかしませんでした。基本的には「野菜の香辛料煮・唐辛子煮」で、日本の味からも、台湾の味からも全く受け付けられないような、「原始的」としか言い様のない味でした。殆どの場合、「本場」の味は、そのままではとうてい受け入れがたいものです。しかし、19世紀末から20世紀の初めに日本に来たインド人の料理にヒントを得て始まったと言われる日本式カレーは、様々な材料に香辛料を加えて煮込んでうまみを出し、そこに塩味を加えることで安定したルーを作ったことで、本場のインドカレーにはないおいしさが生まれ、日本人が食べられるものに変化したといえます。当時の日本人はインド人自身が知らない新しい料理法を、印度カレーをヒントに開発したわけです。定義は様々にできるでしょうが、一面として、ある民族の文化的活力とは海外の文化に対してそうした昇華的対応をする力のことだと言えるでしょう。
 つまり、異文化として元々あったものを、自分の持っているものを通して濾過することによって、元々あったもの以上の良さを引き出す、あるいは自分の新しい持ち味を生み出すということです。原石を「磨く」あるいは「加工する」と云ってもよいかもしれません。かつての日本文化には確かにそうした弾力性・柔軟性がありました。一例としては、和歌から短歌・俳句に至る詩歌の変遷があります。和歌が奈良時代に定型の詩の形として生まれたときには中国の漢詩の影響があったといわれています。絶句や律詩のような、韻律と字数の整った外来の詩を目にして、和歌を生んだ時代の日本人は自分達の日本語の中にある一定の定型的なリズムを57・・57の繰り返しだと認識して、最も短い形として57577という和歌の形で、取り出したのです。絶句も律詩も5555、7777というどちらかの字数を用いていますから、それを適当に組み合わせたのだという見方も出来ますが、日本語の詩では当たり前の57または75のリズムを繰り返すというやり方は漢詩では全く定着しませんでした。漢詩で安定したのは、5555・・・・か7777・・・・のように、同じ字数を反復する詩の形だったのです。注目すべきことは、地理的にも鄰接し、しかも経済的軍事的にも圧倒的に優位にあった大陸文化に対し、当時の日本人は、それに同化しようとか、本家と同じになろうとはしなかったということです。確かに漢詩を作るという文化は奈良時代以後、明治時代までは支配階級、知識人階級にとって今の欧米語と同じように必要な教養でしたが、その一方では、和歌を詠むという文化の伝統も続いてきました。これは、大陸の文化的産物を鏡にして、自分の中にある固有性に目覚めたといえるかもしれません。日本人にとっては、二つの教養は合せ鏡のように、二つあって初めて自分自身を確認できるというような切り離せないものだったといえるでしょう。
 また、和歌自身の中でも革新がその時代、その時代に起こってきました。最も大きな革新の一つは、和歌から連歌、連歌から俳諧が生まれたことでしょう。俳諧が松尾芭蕉によって確立されたと言われる理由の一つは、和歌が決して取り上げなかった「かわず」のような卑俗な題材を取り入れて、しかもそれが詩的に大変優れていた点だと云われています。つまりそれまでの詩人が取り上げなかった景物や文物などを、衰退しかけていた和歌の伝統を通して詠むことで、その文物に相応しい新しい詩形として575の俳諧を独立させ、衰えかけていた伝統を蘇らせたわけです。卑俗といわれたものを和歌的文化のフィルターによって濾過して、俳諧という新しい詩的生命を与えたといってもいいでしょう。和歌の誕生にしても、俳諧の成立にしても、ジャンルは違いますが、先ほどの料理の場合で云えば、「印度カレー」という原石を「日本の料理文化」というフィルターを通すことによって「日本式カレー」を生み出したのと、実は、全く同じことをしているのです。時代はずっと飛びますが、現代日本社会の文化的活力が高かった時代、やはり私達は同じことをしていました。戦後、圧倒的な力で日本に入ってきたUSAの大衆文化に対して、テレビにしろ、漫画にしろ、歌にしろ、日本社会は「原石」であるアメリカの大衆文化を日本的な好みによって磨いて、現在のテレビドラマやアニメ・漫画、あるいは日本の歌謠曲や流行音楽に作り替えてきました。現在のコンピューター文化に対して、ゲームソフトの分野で日本が独自の地位を築いているのも、同じ様な消化あるいは昇華の方法だといえるかもしれません。これらは、いずれも現代の日本を代表する大衆文化の成果として、特にアジア地域を中心に国際的に大きな影響力を持つ文化に成長しています。
 しかし、日本のこうした文化的活力は今、衰えかけています。先ほど料理の場合にふれたように、海外の文化に触れた場合、「本家」志向が人の行動において異常に強くなり、消化や昇華ではなく、同化しようとする傾向が強くなっているようです。端的な例は家族関係や人生設計でしょう。テレビや雑誌などで流布される家族関係や人生設計は、明らかに「欧米」モデルを前提とした話ばかりです。「自立」とか「個人」とか「個性」といっても、例えばアメリカ映画に出てくるようなビジネスマンやキャリアウーマンのような企画・立案を主な仕事にしているような人や、あるいは物書き的な仕事をしているルポライター・コピーライター・クリエーターのような仕事をする人が手本になっていて、そのような仕事を前提とした「自立」や「個性」が発想の元になっているようです。社会の第三次産業化、IT化に失敗した日本社会がIT化で成功した人の生き方をモデルにしているという一種の自己欺瞞がそこに感じられます。自分の現実と合わないものをモデルにするというのは、消化でなく、ないものねだりです。しかし、日本社会が経済的文化的成長を続けていた時代の日本のドラマには、むしろ欧米とは何の関係もない「おしん」のようなドラマを生み出せたところに、活力が感じられました。発展途上国を中心に世界の多くの国で放映された「おしん」がNHKの朝の十五分ドラマだったことを考えると、同じ女性の「自立」や「個性」をテーマにしていても、社会を支えてきた無言の女性たちの生き方を代弁している真実性が、共感を呼んだとも言えます。ドラマによって決して普通では光が当たらなかったところに光が当たった、普通は無言であったところに言葉が与えられたと言えるかもしれません。自分の国の家族、自分の人生を語るのに、全く異質な「欧米」モデルを借りなければ言葉が出なくなってしまったところに、現在、目に見える具体的な内容を持っているにも関わらず、自分自身が見えなくなっている日本人の自己分裂があると思われます。
 逆に、台湾社会にある活力は、自分が大事にしている価値がはっきりしているところにあるといえるかもしれません。家族、友人を大事にするという点で多くの台湾人は非常にはっきりした価値観を持っています。そして、お金や夢の追求も、家族や友人との関係を守るためという側面があります。何を大事にしていますかと言われて、はっきり答えられる日本の中堅世代、若年世代は実はそれほど多くいないでしょう。「さあ」と考えてしまう場合が目立つのではないでしょうか。しかし、こちらの大学生に聞けば、答えは多くの場合、打てば響くように返ってきます。借り物ではない志向の健全さがそこには感じられます。
 文化的活力を取り戻すためには、食物や言葉や家族のような本当に身近なところで、そのような明快さ、簡潔さ、自己との一体感を回復させることが必要だと、台湾の人々の生き方は私に教えてくれている気がします。

第15回終わり