今回は日本と台湾が活力を取り戻すために何が必要なのかを、「休暇社会」を迎えた両国の教育の点から考えてみます。
 日本社会と台湾社会を学生の意識を軸に比較してみると、現在の台湾の状况は日本の1980年代の始めぐらいにあたるのではないかと思われます。台湾社会は今、深刻な低成長状態で、失業率も急上昇していますが、そのような停滞の背景には若者の行動の変化があるように思われます。その変化の兆しは、いろいろなところに出ています。一つは勤労意識の変化です。台湾は二年前から週休二日制を導入していますが、長期の休暇といえば旧正月の一週間しかありません。現在でも、デパートは朝11時から夜9時まで営業していますし、一般の飲食店などは昼から夜中の一時二時までというような長時間営業は当たり前です。日本人が「働き蜂」と言われたのはついこの間のことでしたが、今や台湾人のほうが遥かによく働いています。
 滿足しているかどうかは別として、日本はこの二十年間、休日が確実に増えてきました。欧米並みとはいきませんが、週休二日に加えて、お盆休み、冬休み、ゴールデンウイークの休みがかなり長期になり、年次休暇や育児休暇などの制度も定着して来ました。それは日本では丁度20年ぐらい前から、始まった傾向です。今、ちょうど台湾はそのような「休暇社会」に入ろうとしているのではないかと思われます。労働を自己実現と対立するものと捉える社会が、二十年遅れで台湾でも始まろうとしていると言えるでしょう。
 「休暇社会」の背景には勤労意識の変化があります。大学三年生20人の会話クラスの学生に聞いたところ、「父や母は長時間労働で大変だ。私は長期間休める仕事に就きたい。働くばかりではおもしろくない」というような答えが殆どでした。台湾の学生達の意識も、日本で私がちょうど学生だった二十年前の時代の意識と全く変わらなくなっています。極端に言えば、楽な仕事で收入だけはたくさんほしいと考える意識が若者を動かし始めているのです。若者の意識の変化が社会の動向を左右するという見方が許されるならば、同じ意識を持った若者がこの二十年間動いてきた結果、今の日本社会の深刻な衰退が始まったのと同様、近い将来同じ問題を台湾社会も抱えるようになるという予想ができます。この二十年間、日本社会は何をしてきたかを振り返ることによって、台湾にとっては「前車の轍を踏まず」という別な可能性を探すきっかけが生まれるでしょう。そして、日本にとっては何を間違えたのか考え直すことによって、次の方策を立てることができるかもしれません。
 この二十年間の日本は一体何に躓いたのでしょうか?その要因の一つに「休暇社会」意識にともなう全体的生産性の低下(広い意味で)というような視点を持ち込むことができるかもしれません。端的に結果が出ているのは学校でしょう。この二十年間、大学入試制度は毎年のように変更され、入試競争の排除が建て前となり、その一方で、ゆとりの教育と称して、週休二日制やゆとりの時間などが学校に導入され、それに伴って指導用要領は二十年前の半分近くにまで削減されて来ました。ゆとりがあれば進学競争が緩和されて、個性が伸びると考えたのかもしれません。
 しかし、その結果何が起こってきたかと言えば、2001年4月の新聞報道にもあったように、東大の学長が自ら学力低下に真剣に対応せざるを得ないと言わなければならないような深刻な教育の停滞状態に陥りました。大手予備校の調査によっても、この五年あまり、はっきりと得点の低下傾向が示されています(団藤保晴氏の「記者コラム」に詳しい解説と読者の意見があります)。点数だけで人間を評価できないのは確かですが、実は、得点を取ること以外に日本の社会が若者を評価してきた基準があるとは言えず、その得点すら満足に取れなくなっている言うことは、日本の若者の人的管理:初等中等教育は全く失敗だったと言っているのと同じことです。つまり、この二十年間で日本は人材を育てる方途、方策を失ってきた状態だと言えます。今まで、虐め、校内暴力、不登校、犯罪など負の面には注意が向けられてきましたが、そのような負の面の深刻化と同様に、しっかり育っているはずの問題のない若者たちはまったく鍛えられていない状態になっていたわけです。人材が育たない学校、これこそ日本の活力を失わせた原因の第一と言えるかも知れません。
 そのような学校教育衰退の原因の一つは、日本人が原理的な発想を重視しなくなったということがあると思われます。個人的な経験から考えても、今の小学校でどのような教え方がされているのか分かりませんが、今からもう三十年近く前ですが、私が通っていた小学校の先生はよく原理的な説明をしてくれていました。今でも思い出すのは、円周率の計算をするために、円を小さな内接多角形に分けたりして、計算を教えようとしていた先生の姿です。今の学校では、円周率は「3」と教えなくてはならないようですが、今でも、なぜそういう計算ができるのか教えているのでしょうか。あるいは、ただ、円周率は「3」だと覚えなさいと教えているだけになっているのではないでしょうか。原理的な説明は難しいから、そういうものは省略して、ゆとりの教育をということだったのかもしれませんが、これは「手続きを省いて結果を得る」という教育に他なりません。「結果」だけが大事で、それに至る試行錯誤は必要ないという教育を繰り返す結果、答えを出すための調査や工夫は次第に忘れられて、結果を覚えればよいという発想になっていたのではないでしょうか。私も中学校以降、このような原理的な説明にはだんだん出会えなくなりました。法則や原理を研究する方法を教育しているはずの大学教育の中でも、そのような、現実から規則を見出したり、複雑な事象から法則性を見出そうとする文科系の授業には残念ながら一度も出会えませんでした。思想家の**はこう言っているという話はいくらでも聞けましたが、複雑な事象に向かってそこから何かを見出そうとする方法を私は大学の講義からは聞き取れませんでした。ただ、非常に明解な方法を教えてくださったのは、大学院時代の恩師でした。「同じもの、繰り返されているものを見つける」というのがその方法ですが、私も最近になってやっと、先生がおっしゃりたかったことが分かってきました。
 少し話がそれますが、私の恩師は定年退官後、私立の女子大で教えていましたが、学生達が「テストに出るところを教えてください」という質問をするのに呆れると言っています。恩師は繰り返し、解答を出すための方法を教えていました。同じものの繰り返しを見つけるという、きわめて、明解な方法で、実は複雜な事象から規則性を見出すことができると恩師は繰り返し具体例を示していたのですが、学生達には見つかった「答え」を覚えなくてはならないという発想しかなかったのです。認識する方法を身につけるという考え方は、既に失われて、決まった答えをどう処理するかしか、念頭になくなってきているのです。ただ、この話は、何も今の学生にばかりあてはまることではありません。私達の世代にも既に当てはまります。私は、大学の学部時代には一度も、恩師のような明解な方法を持った先生に出会えませんでした。研究というのは参考文献を読んで、それをテキストに当てはめて解釈することの繰り返しなのだろうというぐらいしか分かりませんでした。恩師に出会って、初めて、事象そのものに従うことで、そこから結果を見出すことができることが分かりました。かつて大学というのは、真理を見つける方法を教えるところだったのでしょうが、いつの間にか、既成の知識を教えるところ、あるいは、思いつきや解釈を話すところに変わってしまっていたようです。日本の文科系の研究に創造性がないと言われる一面は、事実を捉える方法が次第に失われてきているところに原因が求められるでしょう。私の専攻している言語関係の学で言えば、既に江戸時代から、現在、文献学や言語学の中で行われている規則性や法則性を見つける方法が行われていました。そのような伝統も今、次第に失われつつあります。
 今後のIT社会には様々な側面が考えられますが、高度情報化社会、高度知識社会という面で言えば、今まで以上に知的水準の高い創造的な人材が必要になることは私が言うまでもなく、確かです。その点でこの二十年間、日本の社会はそれに対応できる人材育成を怠ってきたと言えます。個性尊重、受験競争の緩和、自由な延び延びした教育など、標語は確かに美しいものでした。若者の個性は尊重されるべきです。しかし、同時に日本の国家と民族を支える人材として、活躍できるような活躍の場を担って貰わねばなりませんし、それに相応しい人材に育って貰わねばなりません。日本の最高学府が、学生の知的能力、達成度を憂える状態は、この人材がこれからの世紀の担い手であるだけに、大変、深刻だと言わなければなりません。日本国内にいて、日本の教育制度に乗っかりさえすれば大丈夫だと考えている親の皆さんは、人材育成、人材競争の点で、日本はすでに先進国の地位から脱落しつつあることに気が付く必要があります。台湾の若者は確かに「休暇社会」を求めていますが、同時に、積極的にキャリアをつけ、いい仕事に就きたいと考えています。留学や外国語の習得もその一貫ですし、社会人の再教育を受けている人も少なくありません。海外へ出ていく若者たちは、やがて、それぞれの技術を身につけて台湾へ戻ってきます。今、台湾のハイテク産業を担っているのは、70年代80年代にアメリカなどへ留学して帰ってきた人達です。一方、今、日本では中高年の失業と同時に、若年層の失業も問題になっています。いわゆるフリーターですが、本人の意識はそれぞれあるとしても、社会レベルの比較から言えば、台湾と対照的に人材育成に失敗した結果の一つの表れでしょう。適切な教育内容とシステムがあれば、今のハイテク産業の人材や、マルチメディア産業の担い手に育ったかも知れない多数の若者が、「ゆとりの教育」の名の下に何の訓練もうけないまま社会に放り出された結果、滿足な仕事に就けないでいると見ることができます。
 しかし、日本の学校がそのような対応をしてきた背景には、そのような人材育成に疑問を持つこともなく過ごしてきた日本社会のこの二十年の動きがあります。この二十年間を見ると、経済的な面では八十年代の日本経済への評価の高まりと同時にバブル経済を迎え、九十年代はその崩壊から立ち上がることができなかったということが言えます。つまり、二十年間、日本社会のすることは全く変わっていなかったということです。言い換えれば、一方で「休暇社会」を追求しながら、それ以前と同じ経済的手法で成功しようとしてきたとも言えます。その結果、今や慘憺たる国家財政の赤字を抱え、世界経済でのシェアは確実に低下する事態になっています。「休暇社会」のモデルは欧米にあり、華やかに見える影で、欧米は戦後の五十年間で、GDPが五倍から八倍程度しか成長しない深刻な低成長に苦しんできました。これは低開発国と言われる国の成長率と同じです。日本が約二十五倍、台湾が五十倍に成長したのに比べれば、二十世紀の後半、欧米は明らかに歴史の表舞台から滑り落ちそうになっていたのです。日本は欧米型社会を追求するならば、真剣にその失敗に学ぶべきでしたが、それをしませんでした。経済レベルが等しくなった今、福祉制度や環境政策などをまねすれば、同じ様な社会ができると思ってきました。しかし、その結果は現在の日本社会の衰退です。
 まず、「休暇社会」でありながら高い経済力を支えるには、それだけの高い生産性を生み出す人材とシステムが必要です。アメリカがベトナム戦争後の深刻な停滞から立ち上がってIT社会を目指したのも、それが「休暇社会」を維持しながら生産性を高める方法だったからです。日本社会が躓いた背景には、先に見たように人材育成の失敗にその結果がはっきり現れたように、そのような社会を支える人とシステムがなかったことが考えられます。それがはっきり分かるのは、汚職の蔓延です。今や汚職や私利のための不正行為は政治家はもちろん、学校、警察、官僚などあらゆる公務員に広がり、そればかりではなく弁護士、医師、民間企業の経営者、社員まであらゆる階層、職種に広がりつつあります。汚職は以前のように、政治家ばかりがしているわけではありません。むしろ社会の中堅を支えていた階層や、各分野で社会の指導的立場にあった人達の不正行為が当たり前になっています。そのような腐敗の背景に、その地位に相応しくない人物を排除できないと言う日本の人的管理システムの大きな問題を指摘できるでしょうが、同時に又、そのような問題の頻発に社会を支えてきた人が腐敗し始めている証明を見ることができます。このことがいかに深刻かは、歴史の経験が繰り返し教えているところです。一つ例を挙げれば、元の侵略に苦しんでいた南宋の官僚達が端的な例でしょう。元軍に包囲されながら攻撃を支えていた襄陽の守備隊の援軍要請に、南宋の官僚達は党派争いを繰り返すばかりで、何の手立ても講じませんでした。結果、守備隊は元軍に降伏し、南宋は守備の要を失い滅亡へ追い込まれていきました。南宋が次の社会の展望を失っていたところ、そして、支配階級が腐敗していたところは、まさに今の日本そのものです。
 人的な組織である限り、本当に大事なものと、そうでないものを区別し、本当に大切なものに力を注ぐ、ぐらいのことは当たり前のことかもしれませんが、国や社会が傾くときには、それが当たり前ではなくなってしまうのです。破局が来るかもしれないと薄々は感じながら、昨日と同じ繰り返しをしていく、行き詰まっているのに、それを行き詰まっていないことにしておく、一人一人の人生においても苦しいときがあるように、社会的な閉塞という状態が確かにありえるのです。そこから立ち上がるには、もう一度、新しい人を育てるしかありません。どう生きればいいのか、本当に大事なものは何か、家庭でも、学校でも伝えていく必要があります。IT社会に対応できるかどうかというようなことは実は表面的な問題です。今、必要なのは、自分の眼でものを見て考え、新しいものに挑戦しようとか、大事なものを守り抜こうとか、そんな当たり前のことができる人がいることです。当たり前のことができなくなっている所に、人材の病い、社会を支える人の消耗が見えているといえます。
 そして、「休暇社会」でありながら高い経済力を支える条件の第二は、そのような旧来と違う社会を支える人の意識です。文化的成熟といってもよいのかもしれませんが、様々な管理を徹底させれば人の不幸はなくなるという幸福主義、「お金」が人生の問題を解決してくれるというような拝金主義、ヨーロッパ式の生活スタイルという近代化の手本を真似すれば幸せが訪れるというような拝欧主義など、この二十年間、人間の能力と幸福を過信した極端な人間中心主義が、日本をずっと支配しています。しかし、それは果たして自国の文化の本当に有意義だったところを若い世代に伝えてきた結果でしょうか。答えは、否です。かつて日本人の精神性を支えてきた仏教の智惠はそのような人間中心主義を名聞(名誉心)、利養(功利主義)、勝他(競争心)と規定して、その底にそれ自身からでは解決できない深い迷いがあることを教えてきました。迷いを人生の目標としてきたことに気がつかないところに、充実感のなさ、心の空白感、反復に過ぎない毎日が積み重ねられてきたという見方ができます。
 今、台湾ばかりでなく日本にとっても大きな脅威となりつつある中華人民共和国の人々はあらゆる手段でお金を儲けようと必死です。大陸の人間は、種々の犯罪や軍事的恫喝まで含めて、お金を儲け豊かな消費物資に囲まれて生活したいという欲求で、あらゆることをしています。私達日本人もある時期、同じことをしていたのかもしれませんが、今はもうそのような激しい欲求は多くの人にはもうありません。台湾の場合、丁度両者の中間、過渡期に当たっていると見てもいいでしょう。その意味では、下り坂に入った日本社会は、手に入れた現状を維持しようとして次第に消耗している段階かもしれません。そんな日本が蘇るとすれば、やはり、次の世代を切り開こうとする人材が育つ環境を一刻も早く整えることしかありません。
 教育改革の基本は、明治時代の人々が江戸時代的な教育システムの中から自力で学校を作り、先生を招聘した故事にならって、文部省による管理を排除し、地方人が地方人のために必要な学課と内容を整えることから始めるべきでしょう。例えば歴史教育です。昨年来、正体不明の儘、報道と大韓民国・中華人民共和国による非難だけが先行してきた新自由主義史観の教科書問題にしても、そのような歴史の記憶を日本人自身が必要だと判断するなら実は何の問題もありません。各地方で自分達の記憶を記した教科書を出していけば、そのような日本の民間人がしていることに大韓民国・中華人民共和国が直接、干渉することはできません。それが国家の管理下に置かれているから、大韓民国・中華人民共和国による国家レベルでの批判が行われているのです。1930年代からの十五年戦争の記憶を掘り起こすことは今なら可能です。近くのお寺に行けば、当時の戰死者の墓が整然と並んでいる光景をいくらでも見ることができます。私の両親の故郷の墓地にも、そんな戦死者の墓が並んでいますが、半分以上が「中支で戦死」というような大陸関係の戦死者のものです。歴史教育は例えば、そんな状況を知ることから始まるのであって、例えば、明治維新にしても、坂本龍馬がどうこうということを日本人全体が覚えることではありません。各地方には各地方の明治維新があります。薩長土肥が明治維新を行なったというような司馬遼太郎式の明治史観も可能ですが、実は、各地方で殖産興業のために徒手空拳で命を投げうって教育や技術開発に投資した多くの人々があったればこそ、今の工業化大国・日本が生まれたのです。歴史教科書にはそのような郷土の苦鬪の歴史が刻まれるべきでしょう。国語教科書にしても、古典時代なら各地方が詠まれた歌をいくらでも見つけられるでしょうし、近世以降ならば郷土の文学者、作家、郷土にちなんだ作品を発掘することは今ならまだ可能です。教育において独自性や独創性を発揮させるような材料はいくらでも身近にあります。ただ、私達は今までそれを価値のないもの、劣ったものと思いこんでいただけです。職業教育にしても、「有名大学に入って**になる」式の習慣的思考から抜け出せば、各地方の独自性を生かす将来像に基づいた教育を工夫していくことが可能でしょう。日本海岸の地域ならば、対岸の大陸型国家と切り結べる人材を養成するのは、死活問題で、東京の国会議員や官僚に目を向けている限りは、慢性的衰退から抜け出すことはできません。大都市圈にしても、都市づくりをヨーロッパやアメリカの都市を手本にして行なう限りは都市は間違いなく死んでいくでしょう。「きれいな街」というのは生活する限り問題を起こさざるを得ない人間の都市にとって全くの形容矛盾です。都市の活力があって初めて、文化的経済的な前進が有り得ます。
 自分の故郷を守るために、今、人材育成を見直すことから立ち上がらなくてはなりません。

第十四回終わり