今回は、九月二十一日発生した、台湾中部地震を中心に危機管理の点から、台湾と日本の民族性と精神性の違いを探ってみたいと思います。

 9月21日に発生した台湾中部を震源とする集集大地震は二千名を越える死者と約十万人近い被災者を出す大災厄となりました。M7.6という兵庫県南部地震の十倍以上といわれるエネルギーのため、断層面では五メートル以上、台湾最高峰の玉山など山岳地帯も一挙に十メート以上隆起したと伝えられています。この地震に対し日本からは数々の支援の手が迅速にのべられ、台湾の被災地では、日本の支援に対し心からの感謝が寄せられています。もちろん日本ばかりでなく国交のない世界各国から救援隊や援助の手が差し伸べられ、国連や赤十字の場などでの中華人民共和国による様々な妨害や嫌がらせにもかかわらず、中華民国・台湾の世界的知名度を高める結果にもなりました。その点では不幸な大災害ではありましたが、中華民国・台湾の国際的地位の回復に向けた一つのきっかけともなった事件だったと言えます。中華人民共和国の変わらぬ主張である「中華人民共和国の一地域である台湾」に対して、中華人民共和国政府の承認や監督を全く経ないで実質的な国際的援助が実施されたのは、中華人民共和国の台湾に対する主張が既に国際的実状に合わない時代になっていることを如実に示しています。
 端的な一例として、日本国内では、中華民国・台湾への赤十字義援金が中華人民共和国による赤十字総会での「台湾への全ての援助は中華人民共和国紅十字を経由しなければならない」という発言によって同国へ送られるという報道が9月末頃なされた結果、寄付金を返却せよ等のごうごうたる非難が赤十字に寄せられたこともあり、中華人民共和国政府の声明は結局、有名無実化される結果になりました。中華人民共和国がいくら日本政府とその行政組織、あるいは利害関係のある企業・団体やマスコミに有形無形の圧力をかけて、中華人民共和国の公式的見解をオウム返しさせようとも、台湾と日本との民間での交流はそういう「欺瞞的見解」を認めない実質的内実を既に持っていることが今回の事件からもはっきり分かります。両国国民間の信頼が篤くなってきたために、中華人民共和国の台湾に対する公式的見解は既に日本国内でもイデオロギー的で統制的な意味を失いつつあるのです。今回の地震は、まことに不幸な惨事でありましたが、国際問題化した点で中華民国・台湾の将来にとって大きな希望の火をともすきっかけとなったと言えるでしょう。

 さらに、今回の地震に対する中華民国・台湾の対応を見ると、既にマスコミでも紹介がありましたが、その危機対応の迅速さには驚くばかりです。9月21日午前二時頃の地震発生後、直ちに現地駐屯の国軍部隊を中心に早速救助部隊が動員されて現地へ展開、派遣されています。警察と消防も、被災地区の担当者はもちろん全国からの応援もできる限り速く被災地へ送られ救助や消火活動を始めました。日本の兵庫県南部地震のとき、日本では一日目には周辺地域からの支援は地震発生後半日以上経過してからだったようで、焼けていく街を前に立ちつくすしかなかった地区が多かったのと比べると、初期対応の速度の違いは歴然としています。台湾では防災司令センターや現地情報センターも第一日目にすぐに動き始めています。市民の動きも違っています。日本の兵庫県南部地震の被災地では、緊急対応できた市民の初期救助活動で救われた方も随分いらっしやいましたが、恐怖と絶望にとらわれた被災者も多く茫然自失の状況で何も手に着かなかったとも聞いています。一方、台湾の被災地では、個人や地区での対応が主体的であり、救援関係はもちろん、第一日目から開けられる店は開店し、うち続く余震で戸外へ逃れた人たちは、皆で焼き肉パーティーをして、突然できた時間を楽しもうとしたそうです。台湾では、中央政府や地方行政組織に依存した動きではなく、個人やそれぞれの小単位での初期の活動がかなりの程度、物理的心理的ダメージの悪化をくいとめたと思われますし、台湾人自身が行政に何かを任せる習慣が今まであまりなかったため、人口密集地の初期救援では逆に自立的救助活動にプラスしたでしょう。
 兵庫県南部地震と台湾中部地震という都市型大地震第一日目の台日両国の動きの違いを見ると、危機管理という点で、行政組織や集団の動きに頼りすぎている日本人は個人の動きが弱く機敏な対応能力が欠けており、初期の救助、情報収集から初期の支援人員派遣まで万事、後手に回りやすい傾向があることが分かります。これは今のように一事が万事、行政の責任だ行政の担当だと市民が叫べば叫ぶほどひどくなるでしょう。住んでいる地区や同じ建物という最小単位で動ければ実はかなりの程度、救出活動もできますし、外からの助けが来るまで協力して対処できることが多いはずです。しかし、日本人の場合、対策といえばほとんどの場合、行政任せで上下関係のある集団単位でないと動けないという発想でしか考えられなくなっているところに大きな問題があると言えるでしょう。今後、日本の東海、関東地域では今回の台湾での地震とほぼ同じ程度の被害をもたらす大地震が予想されていますが、防災対策は個々ばらばらな各自治体任せで、自治体相互の横の連携や上位機関との連絡組織などいまだ制度的にも法律的にも手が着いていない地域が多くあります。その上、個人や小単位で主体的に考える意識が薄くなっている地域ほど、阪神地区や台湾中部以上の人口密集地であるだけにより深刻な被害の拡大が起こる可能性があります。また、実際に中央官庁や政府が動き出すまでには、被災地がより枢要な地点であるだけに兵庫県南部地震以上の対応の遅れや混乱が予想されます。兵庫県南部地震の記録として『地震と社会』(外岡秀俊・みすず書房)を見ると、「第三章 もう一人救えなかったか」には「今回の地震では、地元や近所の人々の助け合いが、まず力となり、失われていたかもしれない多くの命を救った」とあり、まさに、台湾の場合と同じことが指摘されています。
 戦後の流入人口急増の中、地方出身者が集中しコミュニティーとしての都市市民の生活に慣れていないいわば「野暮な」市民がただ集まっているにすぎないとも言える今の南関東地区の諸都市はその意味で、大変、危険な状態にあると言え、将来起こるであろう大地震発生時、被害の人災的側面による拡大が心配されます。台湾中部地震の経験から、日本人が学ぶべきことは少なくないと思われます。
 第二に目に付いたのは民間の動きの違いです。まず、支援活動では兵庫県南部地震のときも民間ボランティアの活動が被災地を助けましたが、一方では逃げ出す市民と、個々に救援に向かう外からの市民とで交通路は当分の間、麻痺状態でした。その辺りの問題は繰返し取り上げられて来ました、今回の台湾の場合はどうか?確かに交通路の麻痺は道路の被害自体が大きかったためもあり深刻でしたが、救援に向かった市民は非常に統制の取れた行動をとり義捐物資は第一日目から北部や南部の都市に集積され、二日目には仕分けされて続々と被災地へ運ばれ始めました。ボランティアも人手が剰るぐらいに最初の三日間で集まりました。民間の義援金活動も最初の一週間で巨額に達し、海外の在留者からもすぐに義援金などの救援の手が差し伸べられました。民間での対応の速さや決断の速さそして、統制の取れた整然とした行動には、目を見張るものがあります。今まで活動の実績がある「慈済会」や「ライオンズクラブ」はもちろん、インターネットなどを十分に利用したマスコミや企業の義援金活動もありました。被災遺児への奨学金支給を決めた企業などもすぐに出ました。行政の決断と処置がその後を引き継ぐ形で、約一週間後から今度は復興対策の形で重点的に始まり、集中的な施策で約一ヶ月後には、復興への道すじがはっきりつけられたのです。
 日本の兵庫県南部地震の場合は全ての施策が対応の遅い行政主導あるいは行政任せで、しかも中央政府と地方行政との溝がある上に今度は自治体間のバラバラな施策が重なって、復興の具体化は大きく遅れました。民間の動きはそれに追随することが多く、逆に初期支援で民間が自主的に動き出すと今度は個人が全くばらばらに動き出して統制が取れない事態を招きました。支援物資の仕分けで現地で滞貨が山のようになっていた情景は忘れられませんが、台湾ではそのような問題は起こりませんでした。ボランティアの経験の点でも、日本ではいまだ小さい単位でしか動けない歴史の浅いボランティア組織が多いのに対し、台湾では既に市民の信頼を十分にかちえている全国組織が今回の地震でも非常に迅速にまた整然と活動を行っています。阪神地区のボランティア組織が今回、自らの経験を生かして早速救援活動に行ってくださいましたが、現地組織とうまく提携して活動を行う道を付けられた組織もあれば、連携の視点を欠いてコミュニケーションに非常に苦しんだ組織もあり、日本のボランティア組織も逆に自らの視点と力量を問われた面があったように思われます。

 さらに、日本のボランティア組織の見識のなさにも失望しました。既に40年近い歴史がある台湾の世界的な仏教系ボランティア組織「慈済会」の活動を見て、それが理解できない日本人が多いのには正直、私は驚きました。ある日本人ボランティア組織は「宗教組織だからメンタルケアなどの活動ができるわけがない」などと言っていました。これほどまでに日本人に宗教的感覚が失われてしまったかと残念でなりません。そして、そういう見方しかできない自分自身の傲慢さにも全く気がついていないのです。善意であればすべてが許されるのか?その点で日本のボランティア組織は神戸地震のような自分の経験にこだわる経験主義か自己中心的理想主義という実に危うい独善的側面を内部に持っているようにも思います。喜捨するというのは仏教の発生以来、在家の仏教徒の基本的な行であり、日本社会にごく自然にそのような感覚が日常的に生きていたのは僅か50年程前です。その感性は既に日本からは失われ、逆に、自分が「してあげる」、自分が「たすける」という人間中心主義に取って代わられました。神戸に「被災したペットを助ける」といって震災直後にやってきたどこかの国の人たちと全く考え方の根は同じです。共生的視点が欠けた支援活動は、いつか逆にひどい傲慢に陥らないとは言えません。
 その意味で、逆に、各国からの救援に心から感謝できる感性を持てる台湾の人々の精神的土壌の深さが今回の地震でもはっきり分かりました。たとえ生き埋めになった家族が助からなくても、救助に来た海外チームに台湾の人々は心から感謝の気持ちを表していました。そして、閉じこめられた人を救出できなかったとき、その家族に深く頭をたれた日本のレスキューチームに台湾の人々は「さすが日本人」とのあたたかい評価と感謝ができる人々なのです。日本から送った仮設住宅は個人で購入したい人が出るほどの人気です。一方、同じ頃、巨額の輸送費を負担してトルコに送った仮設住宅は現地の人には大不評で、未だ大半が野ざらしのままだと聞きます。しかも、ガスが使えない何がないと言って、日本から何かを送るのが当たり前だと言っている人物がたくさんいるようです。需要に合わせて送る配慮が日本に欠けているのに失望すると同時に、トルコにはそんな人ばかりではないとは思いたいですが、もし援助してもらってあたりまえ、気に入るものをよこせといういわば「物乞い」的精神しか示せないのがトルコ人の多くだとすると、その精神性や感性の貧しさには逆に、悲しみすら感じます。そして、そのような民度の低い市民しか育たない国は今後もいろいろな面において隷属的な国際的地位しか獲得できないであろうことも予想されます。それに比べて、台湾の人々の精神的土壌の豊かさは、私たちに人間としてはるかに多くのことを教えてくれています。国際協力や援助と言っても、相手を選ぶ必要がある時代に来ているのではないでしょうか。
 「人助け」は物理的な面、物質的な影響ばかりではありません。自身の人生を豊かにする広がりと精神的土壌を耕し、それを子供達に精神的風土として伝えていく一つの方法です。日本では歴史的精神的伝統を明治維新以後見誤った結果、その土壌はかなり痩せて貧しくなっていますが、台湾では未だ豊かに人々の命を支えています。人間の人生での一悲劇として今回の大地震を見たとき、悲劇を受け入れる土壌の違いが両国の間で今後はっきり見えてくると私は思っています。四年以上立っても阪神地区では重い精神的ダメージのために立ち上がれない人や、行政主導で復興をしたために崩壊した地域の悲劇が繰り返されています。悲劇を受け入れることができない状況が未だ市民を支配していると思われるのです。また、阪神地区の被災者に全く共感を持ち得ない他地域の多くの日本人の冷たい視線がますます孤立化を生んでいるとも言えます。一方、台湾中部地震については人も社会も阪神地区と全てが同じにはならないと、私は台湾の今後の復興の動きを予想しています。つまり復興する人間の精神と社会構造が違えば同じダメージを受けても違う復興の道が生まれると考えています。地震という悲劇を受け入れる人間と社会の精神性や深みの違いを今後、端的に見ることができるでしょう。
 最後に、日本では危機管理というとすぐに「有事」「戦時」「非常時」という戦乱的なものがイメージされるためか、あまり真剣な議論のテーマになることがなかった問題の一つがこの「危機管理」です。実は多くの先進国では既に非常事態に備えた強力な権限を持った行政組織が形成されており、外部からの侵略のようなものに限らず、国内の暴動やテロなど大規模な内部争乱から地震、大火災、大洪水など天変地異までを含んだ社会的混乱や打撃に対応するための施策が様々に行われています。台湾でも今回の地震の復興過程で見たように中央政府の臨時的直轄地として被災地を管理して強力に復興策を推し進め、震災後約二ヶ月で基本的な復興はほぼ終わりました。弾力的な法律的行政的手法がどれだけ速やかな回復に必要か台湾の今回の経験は教えてくれています。
 行政面ばかりではありません。台湾では仮設住宅を建設したのは多くの市民ボランティアでしたし、最終的には政府の管理下に置かれたにしろ民間が中心に特に居住や生活面での支援を継続して行っています。主体は市民です。一方、日本では市民の主体的意識が低いためか自分の街を守ろうとする市民の数は決して多いとは言えず、先進国の中では最も危機に弱い社会構造になっていると言われています。日本人の特に現代的な傾向として、災害まで含めて全ては行政に責任があるという考え方が一般的で、問題が起これば全部行政のせいにすればいいという、実は自滅的な発想が蔓延しています。万一危機的な事態が起こったとき身を守れるのは自分自身の判断力や技術力と体力と身近な地域での人的連帯です。そういう第一義的条件を考える必要がなくなったほど、日本のこの二十世紀後半の社会は安定し平和であったと言えるでしょうが、然し、それは社会構成員や地域社会の能力を落とし、社会の防御力や持久力を極端に衰えさせてしまったように思われます。この9月、台風で日本では一度に20人以上もの死者が出ました。しかし、この程度の台風など台湾では極当たり前の何の変哲もない程度のものです。この高い技術力の時代に、この程度の強さの台風でしかも平野部でこんなに多くの使者が出るほど、今の日本は油断しきった状態なのです。「万事他人任せ」、「不幸は他人のせいだ」という恐るべき無関心、責任転嫁が日本社会を蝕んでいる気がしてなりません。

第十一回終わり