今回は女性の地位を視点として、文化圏としての台湾と日本の違いを考えてみたいと思います。
 現在の日本人が持っている奇妙な偏見として、西欧型社会は女性を尊重する男女が自由で平等な社会、一方、日本を始めとするアジア型社会は男尊女卑で女性は男性に隷属しているという謂われのない先入観があります。
 この観念が馬鹿げている証拠はいくらでも上げることができます。まず、西欧文明の基本的モデルであったアテネ全盛時代の古代ギリシア文明においては、女性には市民権はなく、相続権も認められず、教育も受けられず、公の舞台に出る可能性はゼロでした。当然歴史に名前が記録されない、奴隷と変わらない存在でしかありませんでした。西欧型文明は古代ローマを例外として、決して女性の権利など基本的に認めていたわけではありませんでした。これと同じような例は、その後の2500年の歴史においても、いくらでも探すことができます。
 19世紀後半の大英帝国全盛時代ですら、女性に教育を与えるなどもってのほかだという意見が大勢を占めていました。女性が参政権を認められたのは、第一次大戦で公式には百数十万を越える戦死者を出し、働ける大半の若年男性を失ったイギリスが始めですが、これとても男性がいなくなって仕方なしに女性の社会進出を認めたに過ぎません。大半の国では日本国憲法体制と同じ、二十世紀後半に入ってからです。しかも、未だに女性に投票権がないヨーロッパの国家もあります。自分の希望や思いこみで世界を見るのではなく、事実を見極めることが、自らの進路を見極める際にも大切なことでしょう。つまり、現在の日本人が信じている西欧は男女平等、アジアは男尊女卑という世界観は全く事実無根の妄想です。
 女性の地位の変化は、西洋型かアジア型かというような、理念的な区別とはそもそも無関係です。各国それぞれに、男女関係の社会変化が歴史的にあって、その中で形成されてきた関係です。ヨーロッパで二度の世界大戦がなく、千万単位で若年男性が僅か50年あまりの間に戦死するという大きな社会変動要因がなければ、今のような社会体制になったかどうかすら疑問です。一方、封建制度の代表のように言われる日本の平安時代や鎌倉時代ですら、基本的に女性に相続権があり、遺言状や訴訟状で当時の女性の地位をかなりはっきり確認できます。また、鎌倉の武家でも女性が家長であった事実がありますが、これらは教科書では教えていません。つまり、古代的な日本社会では、女性の地位が相当に高かったことが推測されるのです。これは、同じアジアと言っても男系の子孫にしか相続を認めなかった半島の韓国や大陸の中国とは事情が異なります。アジアかヨーロッパかという区別ではなく、むしろ大陸型か海洋型かという生活形態の違いの方が大きかったのではないかと思われるのです。
 日本で女性の地位が極めて高いのは沖縄地方です。沖縄の女性は神官階級であり、また一家の中心でもあります。しかし、卑弥呼の例を挙げるまでもなく、古代の日本でも実は一家の相続は女性を中心に行われていたという説もあります。かつては日本列島に、同じような母系的な社会形態が分布していたと考えられます。そして、その上に家父長的な大陸型の集団が植民したために、かなり混合的な社会に変わっていったのではないかと思われます。
 男女の地位のその社会内での位置を表す端的な指標の一つに、その家族の家計を母親が管理しているか、父親が管理しているかという問題があります。これは、社会によって現在でもかなりはっきりした違いがあります。聞くところでは、アメリカ、イギリス、フランスなど典型的な西欧型社会の大半の家族は男性家計管理です。中国大陸では北部ほどはっきりと男性管理型ですが、南部に行くと女性が管理する場合が多くなります。中国の場合、皇帝の一家でも相続は男系ですが、一家における女性の影響力、特に母親の影響力はかなりのものでした。皇帝の外戚が威をふるうというのは、基本的に母親の力です。後宮内でのライバルをたたきながら自分の子供達への相続権を確保するというのは、並の外交手腕ではできないことです。台湾の場合も、女性が家計を預かる場合が多くなります。日本の場合は、かなりの程度、女性管理型でした。家計を預かるということは、一家の経営を任されているのと同じです。仕事上や地域、一族とのつき合いばかりでなく、子供達の将来や社会関係まで、すべてが女性の判断に任されるということになります。戦国時代の挿話として、秀吉の妻とか、山之内和豊の妻という話が伝えられたのも、家庭という戦線を張っていた女性の地位の高さを物語るものでしょう。
 女性の地位と言っても、どの場を基準とするかで、随分違ってきます。日本女性の価値観はその点で非常に硬直化、一元化しています。つまり、公的な、あるいは組織的な仕事、お金に関わる仕事に身をおくことを地位の向上とのみ考えているのではないかということです。そして、仕事と家庭は対立する関係にあるという観念も年々ひどくなっているようです。果たしてそうなのでしょうか?
 (続く)