日本と台湾

2007年07月13日

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はじめに

 私が初めて台湾に来たのは1994年のことでした。いまだインターネットもなく、海外の情報を入手する方法は限られていました。 日本のマスコミの視点も中華人民共和国一辺倒の時代であり、台湾の情報を日本で手に入れるのは困難でした。また、日本はバブル経済崩壞後の混乱が続いていた時期であり、不良債権の処理に皆二の足を踏み、社会全体が重苦しい雰囲気と、自己迯避的な快楽の追求に我を忘れていたそんな感じがする時代でした。他方、台湾は「奇跡の十年」と言われる経済的な躍進の時代であり、世界のコンピューター生産を一手に支えていた栄光の時代でした。そうした台湾の姿を見ると、沈滯した日本と日本人の姿との違いに驚くことばかりでした。

 それから十年、現在、日本をめぐる状况も台湾をめぐる環境も厳しさを一段と増し 、岐路に立つということばのとおりの状況です。二十世紀後半の世界経済をリードしてきた両国は今、共に「経済的社会的衰退」という厳しい障害に行く手を阻まれ 、苦しんでいます。日本においても、台湾においても将来像の再検討が切実に求められているのは、不可避の現実です。

 そうした将来像を探る中で、日本と台湾の両国がそれぞれの国から学び合えることは、まだまだ残されています。再建・再生の時代へ向けて、今、もう一度、海外の「文化」を学ぶべきときが来たとも言えるでしょう。
 善悪の評価は分かれるとしても、明治維新の背景には、それまで文化の中心だった「中国」というパラダイムを捨て、「欧米」というパラダイムに転換したという 価値観の大変動がありました。「戦前」から「戦後」へという第二の維新の時代にも、やはり「一国主義」から「国際主義」というパラダイムの変換がありました。そうした海外に文化の手本 ・模範を求める思潮は今でも続いています。しかし、海外の「文化」は大陸的な「欧米」や「中国大陸」にばかりあるのではありません。共に、海洋と島嶼の国として生きてきた日本にも台湾にも大切な歴史的文化的蓄積があります。 今まで見てこなかった所に、文化の新しいモデルを見出し、パラダイムを転換することもできるに違いありません。

 どのような社会であれ、自分の社会をゆるがす新しい内部状況の出現に立ち向かう勇気がなければ、衰退と滅亡の運命に身をゆだねる以外に道はないでしょう。人類の栄光を今に伝える古代ギリシア・ローマ、偉大な遺産を残したイスラム圈、人間の知恵と悲惨を史書に記しつくした中華圈など、 いずれも一時期は輝かしい栄光の時代を築きましたが、自らを世界の中心と称した鏡を持たない社会であり、いずれも自己閉塞や停滞をまぬがれませんでした。 これは私たち「島国」で暮らす民にとっても、重大な意味をもっている経験だと言えます。

 海外との交流の道がかつてないほど多様化し自由になった今、鏡は欧米諸国や中国大陸にあるとは限りません。従来と違う鏡を持つことで、自分自身の違う姿が見えてきます。自分を知ることによって、必ず、新しい窓が開けるはずです。 日本にとっても台湾にとっても、欧米諸国や中国大陸の模倣ではない、少しでも多様化した見方を持つことが、「経済的社会的衰退」という厳しい壁を乗り越える一つの道ではないでしょうか。ここでは、日本と台湾をお互いの鏡として、文化・社会を考えてみようと思います。


[Notice]
以下は、著者の個人的見解をあくまでも仮説、観点、着想として提示するものであって、著者の学問的業績を提示するものではありません。執筆に当たっては、適切な資料を集め、整理すれば然るべき結果が得られるということを前提にしていますが、資料は記憶に頼っている部分も多く、すべての資料を明示し整理して書く労力を払えないものとして公開していますので、あくまでも「読み物」としてお読みいただけたらと存じます。なお、内容はあくまで著者の個人的 ・独断的見解に過ぎず、特定の学派、政党、あるいは特定の学問的立場、政治的見解などを主張 ・代表するものではありません。
 ニュースソースやデータ面では自分の記憶に拠って書いているものがほとんどです。いずれデータと合わせて、確認しようと思っていますが、今のところは、アイディアや視点の提供が主です。事実かどうかは、いろいろな形でご確認いただき、あくまでも仮説としてお読み下さい。多様な視点があってこそ、理解や交流の 可能性が広がると思われるのです。

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上次更新此站台的日期: 2007年07月13日