今回は海外援助や対外関係を視点として台湾と日本の国際性の違いを捉えてみます。

 2000年の1月、兵庫県南部地震の五年目の検証番組が様々にあったなかで、トルコ地震に関するNHKの特集がありました。それによるとドイツ、イスラエル、日本がトルコに対し仮設住宅の援助をしたそうですが、その援助法は、三国で全く違っていたそうです。
 ドイツは第一次大戦前からトルコとは同盟関係にあり、今でも多くのトルコ人が移民や外国人労働者としてすんでいるためか、トルコの国内にも優れたプレハブ住宅を提供できる会社があることを知り、資金のみを提供して現地の会社に住宅の提供を任せたそうです。それによって、トルコの気候風土にあった仮設住宅村が地震後最もはやく建設されたとのことです。関係の歴史的蓄積が有効な援助を生んだと言えるでしょう。
 次にイスラエルは、村の設計から施工まで資材・技術と人手の全てを提供して、これもまた迅速に安全な仮設住宅村を建設しました。トルコには地理的にも近く、外交的にも中東にある非アラブ系の最も近い国家への援助で、両国の今までの相互協力関係が実った形だろうと推測できます。イスラエルとしても外交戦略的な観点からも友好国に礼を尽くしたといえる最も丁寧な援助ではないかと思われます。
 最後に日本ですが、これは皆さんもご存じの通り自衛隊の輸送艦を使ってはるばる神戸の解体した仮設住宅を送ったものでしたが、これはレポートにもあったとおり、大失敗でした。まず、住宅の建設工法や内装が日本とは全く気候風土が違うトルコでは違いすぎて、要求される住宅の質が合っていないこと。次に、電気、水道、ガスなどの規格が全く違い、日本で使えたものはトルコでは全く使えず、配線や配管の穴を塞がなくてはならないこと。住宅建設の工法を教える日本人が一ケ月ほどしか滞在せず、建具や内装などの不慣れな工事をトルコ人の大工が独力でしなければならなかったことなど、「ただ物を送ればいい」というだけの援助に終わったことが失敗の原因でした。
 昨年11月に第十一回を書いたときは、どうしてそんなに不満が現地から出たのか背景が分かりませんでしたが、このレポートで、それがはっきり分かりました。
 このレポートから考えるべきことはいろいろありますが、国際性という点から見たとき、第一に問題と思われるのは、相手の国を知らない、あるいは知る方法を持たない日本の行政組織や民間の巨大組織の弱点が問われたということでしょう。しかも、援助した相手から大変な不評までかってしまい、何のために巨額の資金を投じたのか、義援金を投じた日本の民間人の善意をも大きく踏みにじることになりました。今回の援助の失敗は、台湾への場合とは好対照で、両者の比較から、今後の国際援助では上下関係のある巨大組織の組織力ではなく、横の幅広いネットワーク的な繋がりのほうが、遙かに柔軟に事態に対処できることを端的に教えているように思われます。世界的に現地に長く居住している日本人との連絡網をインターネットで作って、必要な情報やアドバイスを得るなど、政府や巨大組織という公式レベルでない交流のパイプのあることは今後の国際関係で大切な要素になりそうです。
 第二に、旅行などで身近であり、交流も活発で具体的に知る方法があり連携のルートが確立できた台湾への援助が政府間は勿論、小さな民間レベルでも順調に行ったのとは裏腹に、地理的にも歴史的にも遠く、ほとんど具体的なことは何も知らない地球の裏側のトルコへの政府による大型援助が無駄になったことは、国際援助において、どの国に何ができるか、また援助をする方法は同じであってはならないということを意味しています。トルコ語を理解できる日本人、あるいは日本語を理解できるトルコ人が数えるほどしかいない状態では、地球家族とはいいますが、知らない家族に援助できることは多くありませんし、援助するなら相手とコミュニケーションの点でも真摯に向き合う視点が欠かせません。
 限られた資金で一番有効な援助法を見つけるのは、やはり日本とその国の双方に長く住んだ経験のある人物でなければ難しいでしょう。そういう人材を増やす方法として、一つは留学生を日本へ受け入れることですが、途上国からの場合、受け入れは諸刃の刃である場合があり、必ずしも卒業生が交流の人材に育つかどうかは一概には言えません。その意味でも、公的組織に頼らず海外で自立しようとする日本人が増え、日本に入ってくる生活に根ざしポイントを押さえた海外の生きた情報が増えない限り、日本の国際性には限りがあります。つまり、テレビや海外旅行など表面的な一過性の知識しかない状態で、世界各地のことを知っているつもりでいるところに現在の国内にいる日本人の油断と奢りがあるように思われます。
 さらに、現在の日本は海外に関する情報の質と広がりを検証できないという点もかなり大きな問題です。台湾の例で見れば、日本のテレビで流れる台湾情報は、実は台湾で実際に報道されている同じ分野のテレビニュースの内容の1%にも満たない量です。つまり、特定のニュース性の話題、例えば大統領選挙についても、特派員の判断でかなり選択と限定がされています。それ以外のローカルな分野ではほとんど具体的日常的な情報は入ってきません。しかし、交流や援助などで大事なのは生活に関わる問題ばかりです。今回のトルコへの援助で大きな問題になった住宅の電気やガスの配線や配管の規格のことなど、その土地で不動産を所有し管理した経験がないかぎり、ほとんど関心にすらのぼらないことです。短期の留学に終わっている大学関係者や会社持ちの住宅に入りさえすればよい日本に帰るのを前提とした駐在員の視点では、意識の表にはのぼらない生活の細々した問題は捉え切れません。まして、一過性の旅行者や二、三年で交代してしまうテレビや新聞社の特派員が知ることのできる海外の知識など、本当に多寡が知れています。
 まとめて言えば、日本人の海外に対する知識は、非常に身近な台湾を例にして考えても、日本人が思っているほど質的にも分野的にも豊かではありません。そして、それにもかかわらずその国を知っていると思いこんでいる、あるいは海外に関心があるのだと思いこんでいる所に実は今の日本社会の深刻な問題があります。「知らない」とか「関心がない」と自分で思っているなら、そのような対応がとれるのですが、知らないことを知っていると思いこんでいる状態には、どうにも対処しようがありません。そこには疑問も興味も新しい発見も何もなく、ただ自分の価値観で相手を割り切るという最悪の関係が生まれてくるだけです。今の日本社会の停滞の一因は、まさにそこにあると言ってもいいでしょう。
 一方、台湾の場合はどうでしょうか。
 台湾も一人当たりの生産性では日本以上の生産性を上げている先進国ですが、海外との交流や情報の窓口は基本的に日本と違います。台湾では個人や個人企業、あるいは海外に住んでいる華人を結ぶ民間団体が交流と情報のベースであり、マスコミ、政府、大企業などが主体ではありません。
 個人ベースで見れば、まず学生の動きが日本とは全く違います。日本の学生が学部レベルから海外へ行くのは、音楽などの一部のはっきりした目的を持った学生を除いて、国内での進学競争の抜け道としてか、あるいは単なる英語への妄信から英米圏へという場合が目立ちますし、海外の学歴が日本で認められる仕組み自体も整っていません。帰国した人材が活躍する場も、かなり限られています。大学などでも、海外育ちの人材が登用されているのはまれで、国内のルートからはずれた人が学界で活躍できるチャンスはほとんどありません。更に悪いことに、語学教師として雇われてくる欧米人は学歴詐称であったり、教師としては不的確なものも多くて、人材の質を見極めるノウハウすら失っています。明治初期に高額の俸給で招聘された外国人はドイツ人のナウマンなどを筆頭に、史上に名を残した人物が少なくありません。当時は一流の研究者を見抜く目があったのですが、現在の大学人は無気力なのかそれすらも失っています。
 一方しかし、台湾では高卒後、英米圏は勿論、ヨーロッパ、日本へかなりの学生が学歴取得を目指して留学に出かけています。統計上はそれら長期の留学生は二万五千人で、全大学生数の約二割に達しています。その後も研修を重ねて海外で学位を取得して帰ってくる場合も多く、また、海外で勤務したり教鞭を執った後に帰国する人もたくさんいます。そして、国内の大学の学部卒業後も、奨学金を取得したり、あるいは経済力のある家庭なら、海外へ修士や博士の学位のために留学する学生も少なくありません。帰国後は、確かに英語圏が中心ですが、日本とヨーロッパで育った人材もそれぞれ所を得て活躍しています。それらのキャリアがそのままキャリアとして認められ、社会的な力になっていると同時に、短くても4年以上に渡る海外滞在の経験が台湾への見方や国際社会への見方を養い、全てを相対化して見る力を養う背景になっていると思われます。一言で言えば多様な人材を生む背景として国際経験や各国での生活が台湾の場合、十分に機能し社会がそれを受容していると言えます。台湾においては国際社会は、英語を理解するとか話せるということ以上の、幅と多様性のある人材育成の場であり、人材の背景です。
 しかし、日本人の場合は人材育成の場ではありません。一例として、日本では英語を全国民が話せるようになるのが国際化であるというような議論が知識と経験を積み社会のリーダーであるべき知識人や経営者の階層から出されていますが、「全国民」という一体化を強調する視点と「英語」に限定する点が国際化を論ずる場合、基本的にあまりにも馬鹿げています。国際社会は文字通り多様であって、英語圏を除いて英語が通じるのはどの国でも、ごく一部の階層に限られています。いわば、交渉やビジネスでのモールス信号のようなもので、そうした関わりを必要としない庶民のレベルではイギリスの旧植民地を除いて何の通用力もありません。英語によって見失われるその民族や社会の実質が実は非常に大きいのです。まして、留学ではなく国内で学んでもほとんど使う必要すらありません。日本にいる英語圏の外国人などほんのわずかです。その意味で能力を高めるのは政治家や官僚や大手企業の社員など国際舞台での交渉を強いられる職種だけで十分です。それに英語圏に何の関心もない国民が、アジア圏に何の関心もない国民と同様に存在しているのが、国民の多様性を保つ上でも重要なことでしょう。均質化による弊害は私達日本人が第二次大戦での外国語禁止でよく知っているところです。
 そして、何より英語で得られる情報より、その国に住んでその国の言葉を使い仕事をしたり勉強したりするほうが、その国の生活や人々を知るのに遙かに深さと広がりが出るのは当たり前です。
 私が今、日本で滞在している留学生会館でもその弊害ははっきりしています。英語のできる学生は日本語をはかばかしく覚えないというのは、非常に目立つ特徴で、高校卒で来ているため日本語は日本で学んでできるようになったが英語は使えない中国大陸の学生と、はっきりしたグループができています。英語のできる学生にいくら高額の奨学金を投じても、彼らの多くは日本語を含め日本人との交流や日本の文化や社会に大きな興味は持ちません。それより「学位や高収入が欲しいという」という現実的な動機が強いので、世界中どこでも通用する工学や医学や薬学の知識だけを学んで、帰っていきます。確かに、一時はその技術が役立つかもしれませんが、進歩も早いだけに、活躍の場が長く与えられるかどうかも分かりません。
 国際関係の持ち方として、「英語」しかないという日本人のコンプレックスは自他共に大変な障害になります。道具としての英語は難しいものではありません。しかし、それは入り口に過ぎずその背後にその国の本当の姿が隠れているのです。それに、文書翻訳ならばすでにコンピューターソフトで間に合う時代になっているのです。言語はコミュニケーションのために生かされるべきものですが、言語を知っていてもコミュニケーションできるとは限りません。相手を崇拝したり軽蔑したりしている限り、自分の知識や常識から一歩も出られないのです。いくら言葉を交わしても自己幻想だけがふくらんでいくばかりです。日本国内でのコミュニケーションも含め、日本人のコミュニケーション能力がかなり落ちてきている事実は様々な子供の犯罪に端的に現れています。私が台湾で暮らした経験でいえば「英語能力」=「コミュニケーション能力」ではなく、「人間的関心」+「その国の言葉の能力」=「コミュニケーション能力」でした。こんな簡単な公式も分からない知識人や経営者が国の方針をリードしている限り、日本の21世紀は明るくありません。

 最後に、国際的舞台での人の移動について考えてみましょう。その点からいえば、台湾人の場合、移民という形での海外との関わりは大変一般的なものです。現在、投資移民の形でカナダ、南アフリカを始めアフリカや中南米の国々へ移住して土着し、台湾とのネットワークを保ちながら仕事をしている人は少なくありません。また、台湾からの留学生がアメリカで結婚して子供を産み、子供にアメリカ市民権を取らせるのも一般的な方法です。今、そうして海外で生まれた移民や留学生の子供達が、活躍する時代になっています。テレビでも台湾のジャニーズ系スターや歌手には、アメリカや日本生まれの二世が登場しています。日本の若手歌手の注目株・宇多田光のような存在は、日本では珍しいだけに非常に目を引きますが、台湾でも今後ますますそのような形でのインターナショナルなスターが表舞台に出てくるでしょう。台湾に限らず中華系の映画俳優がアメリカ、台湾、香港を股に掛けて映画で活躍しているのは、すでに極当たり前のことです。
 しかし、戦後、海外へ出て目立つ活躍が出来た日本人は、まだごく僅かです。移民としても昭和30年代までは南米への移民がかなり居ましたがその後は移民の流れは途絶え、本国との行き来も途絶えがちです。また、アメリカなどに渡った日本人が、次第にアメリカ社会で大きな役割を果たすようになっていますが、それらに目を向ける日本人は多くはありません。アメリカのネットビジネスの一端に中華系、インド系と並んで日本系の人物が名を連ねているにもかかわらず、そのような人脈は必ずしも生かされてはいません。海外で活躍できる能力は、中華系であれ日本系であれ変わらないのですが、そうした海外移民を一族・同胞と見なすか、それとも「棄民」、「逃亡者」、「不適応者」、「裏切り者」などと見るかで、それら海外の同胞を生かせるかどうかも変わってきます。日本人の場合、アメリカやカナダ、オーストラリアなど欧米系植民地への移民は、現在やっと同等に評価されるようになりましたが、その他の国への場合では、未だ「棄民」とみなすしかできない閉鎖的な視点が残っているようです。私が台湾へ移住したのを聞いた友達のかなりの人が、「大変だ」とか「帰ってこないのか」などと聞きますが、こういう感覚しか持てない日本の中流階級が停滞していくのは、いかんともしがたい面があるでしょう。1950年代から60年代、まだ競争力のなかった日本製品を売り出すために海外へ乗り出した大正生まれや昭和一桁の世代の辛苦の経験は、その後の日本の大成功の中で伝えられることなく、消えてしまったようです。海外とのネットワークを広げるには腰掛けの駐在員や短期滞在の留学生ではどうにも出来ない面があります。その国で一生を過ごす日本人が増え、子供の世代になってやっと国と国との文化的断絶が越えられるというところでしょう。それも、どちらかの国に過剰適応したり同化していては何の意味もありません。文字通り日本人でもなく**人でもないという間に立つ人としてインターナショナルであることは大変に困難なことです。
 また、日本は貿易で生きるしかないといいながら、国民にそれを具体的に教育せず、貿易の主体が個人のネットワークではなく、大企業や公的組織に依存するようになったのは、それだけ取引が巨額になったことも意味しますが、同時に取引が硬直化し、新しい分野への進出や対応が遅れていることも意味します。90年代での停滞の一因には、明らかに海外取引の失敗がからんでいます。バブル期の海外進出の失敗でこれらの大企業が海外で失った資産は、小さな国をいくつも消滅させてしまう額でした。全てを硬直化した巨大組織に頼るという日本式のやり方が、大きなリスクを伴うことをはっきり知るべきでしょう。個人の失敗は次のターンで成功すれば簡単に取り返しがつきますが、国家的規模の額の損失は、二度と取り返せない負債に変わります。
 日本人で海外に移民したケースが多かったのは、20世紀前半、太平洋戦争まででした。中南米、アメリカ合衆国、ハワイは勿論、樺太、東南アジア、南洋諸島、中国大陸、朝鮮半島、台湾など、植民地と非植民地とに関わらず、多くの日本人が家族ぐるみ移住して仕事をしていました。そんな日本人の様子の一端は、夏目漱石や芥川龍之介などの文学者が残した旅行記からも容易に伺うことが出来ます。志賀直哉の有名な小説『暗夜行路』にも、主人公が長年世話になっていた実は父である祖父の愛人が、満州へ行って仕事を始めようとしたが、結局失敗して帰ってくるという話が出てきます。個人が夢を求めて教師や小規模事業者として海外へ出ていた時代があったのです。しかし、今、日本では組織を持たない日本人が個人として海外で自立できた時代は既に過ぎ去ってしまったようです。かつてのベネチアが新規事業を開拓する活力を失い国家として消滅していったように、日本も国を支えるべき中流階級が国内で逼塞するだけに留まれば、二度と活力ある国家の再生は望めないでしょう。「冒険心」、「開拓精神」が「合理精神」の裏付けであって初めて、新事業が成り立つのです。「安定」と「計算」からは次の時代を開く何者も生まれないでしょう。手持ちのコマをいくら頭の中で動かしても、今あるコマは決まっているのです。
 台湾の社会が活力を生かし対外的な不利を乗り越えて飛躍している背景には、「地球家族」への人間的関心と信頼があります。一方、日本人が人や生活への関心を失い、対外的な素朴な興味すらもなくして「**がおいしい」とか「**が安い」という硬直した旅行の話に終始したり、「格好良く楽に儲ける」という短絡的発想に陥っているのは、既に人間的能力の全体的退化ではないかとも思われます。人生はもともと危険であり失敗の連続であるが、同時に「生きている限り天地は与えられる」という両面的な過程です。どちらもが真実です。現代の日本人の精神の中に、不幸や失敗を避けるのが人生だというような一面的な発想が広がっているとすれば、その発想自体が硬直化の源であることをはっきり知るべきでしょう。

第十二回終わり