1.台湾の教育改革への評価:台湾ではこの五年、小中一貫9年の教材が編成されて使われてきた。日本と台湾の紹介を主に書いている「光華雑誌」の記事をたどって、最初に5年間の動きをたどってみたい。以下には、まず5年前の大改革の内容が紹介されている。
教育改革の「静かな革命」――小中学校の九年一貫課程
日本の9年一貫教育は小・中学校が同じ校舍で9年のカリキュラムをするように編成しているが、それとはと違って、台湾の場合は教科内容だけを9年間一貫に編成し直して、
全国の小・中学校でこの五年間実施してきた。
通っている子供の学校で聞いた話から、それ以前と比べて、変わったところを見ると、小学校では、変化はだいたい以下のようになるだろう。
@内容が大きく削除され、替わりに英語と台湾語・客家語・原住民語の授業が入った。
A歴史・地理は社会になって、身近な生活から台湾の地理・歴史を教える内容に変わった。理科は自然になり、大幅に内容が削除された。
B算数の教え方が、10を10回数えて100にするというような方法に変わった。
C国語の内容は、友情を教えるなど道徳的な物と台湾や世界文化などに関係した内容とに大きくシフトした。
このモデルは日本の「ゆとり教育」で、当初は教材に間違いが多いなど評判が悪かく、量の削減で学力低下が心配されるなど評判が悪かった。また、英語教育への不安も大きく皆幼稚園から英語を習わせようとしたりした。2003年の以下の記事は、そうしたとまどいの声を伝えている。
英語学習のスタートは早ければ早いほどいいのか?
外国人教師導入の是非――小学校の英語教育と英語教師
以下は2003年の教育効果検証の記事だが、台湾では「ゆとり」と「競争」をバランスさせることに腐心し次第に考え方が多様化していった様子がうかがわれる。
「楽しさ」と「競争」の間で ゆとり教育で子供たちは楽になったか
また、台湾での教師の地位は非常に高く、社会的に最も信用ある職業だったが、最近では日本と同じような子供たちの非行や怠業が起こり、先生の不祥事も増え、転機を迎えている。以下の記事は、改革の中でのゆれる教師像を取り上げている。日本同様、決まった答えがあるわけではない。
台湾の学校教師の−−変革と挑戦
5年経ってやや落ち着いたのか、大学入試でこういうバカな解答があったとか、若者のメール文字の意味を問うなどの問題がバカげているという、大学進学時での学力問題を話題にすることはあっても、最近はあまり批判の声を聞かないが、台湾社会全体としては、教育改革はまだ途上にあるというところだろうか。
2.台湾の小学校教育
ただ、子供が勉強しているのを横から見ていると、日本に比べれば台湾の教育には柱がしっかりしていると思われる部分が残っている。まず、勉強の主な内容は、国語と算数だと言うことが、宿題の量から分かった。国語は毎日5P分ぐらい教科書の漢字を覚え、例句を暗唱し、教科書を書き取りするような内容が出ている。日本では漢字を減らせとか、古典は必要ない、まして漢文などなんの意味もないという方向でこの20年あまりひたすら国語内容の退化が進んできた。しかし、台湾では漢字はもちろん画数の多い正体字(繁体字)を小学校から丁寧に教え、古典の教科書が別にあって、四書五経や古典あるいは漢詩の抜粋がしてあって、暗唱する宿題が出ることが多い。あとは、作文、読書感想文、漫才の発表、劇などがときどきある。古典の暗唱や漫才をのぞけば、自分の30年以上も前になるが小学校時代の国語の勉強とそう変わらない。以前の分量はもっと多かったと聞くから、いったい以前はどのぐらいの宿題があったのか、ひたすら内容を削ってきた日本との違いに驚く。
算数は珠算と計算が主な内容で、計算練習は珠算としてほぼ毎日50題ぐらい、文章題が授業内容らしく、宿題で計算練習としてやっているようだ。
英語は外国人教師や台湾人教師が担当して、専用の教科書で、高学年になると日本の中学3年生ぐらいの内容を会話練習としてやっている。英語と言えば、日本ではひたすら文法教育だったが、台湾の場合は、「話す」ことと「現在を知る」ことに主眼が置かれている。たとえば、英語で「世界地理を学ぶ」とか「各大陸の文化を知る」というような設定になっている。
社会と自然は、生活に身近な知識として、台湾を話題にしているが、分量はそれほど多くない。国語と算数が主ならばあくまでも従になっている。
先生たちの方針が明確だったので、日本ほどカリキュラム改定の影響を受けなかったのかもしれない。「読み書きそろばん」に「本土化」と「グローバル化」への対応を加えて、「ゆとり教育」の枠の中で、最大限の学力定着の工夫をしているように見えた。
また、こうした形で自然に台湾意識(ここが故郷であるという認識)が子供たちの間に根付き、大陸の軍事・経済攻撃をしのいで次世代が生き残れれば、台湾には台湾の別の選択が生まれるに違いない。
3.台湾教育の基礎思想─儒教(儒学)とは?─
しかし、台湾の人間教育の基本は何かといえば、古典の暗唱を小学校から取り入れているところから見ても、やはり儒教だろう。以下の女子教育や科学教育の先駆者という評価は、台湾での儒学に対する肯定的な見方をよく表している。
朱子という人
「温故知新」というとおり、台湾では典拠としての儒学を骨格にして、教育や人の生き方を考えるという側面は、教育の土壌(無意識的な背景)としてしっかり生きているように見える。幼稚園や小学校低学年では、「三字経」と言って、儒教などの教えを短くまとめた100字ぐらいの詩を暗唱させるのが常だからだ。
一方、日本での儒教に関する理解は、諸説あって、なかなか難しい。
@群龍天にありに簡潔な紹介が出ている。漢籍おぼえ書き(諸子百家の部)を参照。ここに出ている四書や十三経は台湾の小学生暗唱用経典(けいてん・仏教は経典(きょうてん))にもかなり取り入れられている。易経、詩経などもっとも古い典籍なのに、意味は分からなくてもとにかく覚えるというのが、教育の一つになっている(日本ではもうこうした習慣は全部無意味だとして棄ててしまったが)。
A概説として最近でもよく読まれているのは「加地伸行☆儒教とは何か」かもしれない。従来は道徳面ばかりが強調されていたが、儒教の宗教面と儀礼面を取り上げて「生死観」として論じている。
一方、日本の江戸時代では儒教と言えば朱子学という時代が続き、たとえば司馬遼太郎氏は特に「朱子学」を嫌い、”日本が進路を誤ったのは朱子学の熱狂主義のため”というような論を展開している。
B司馬遼太郎の日本思想史
(1) − 基本線
「武士道」をリアリズム、「朱子学」をイデオロギーと定義して、日本の思想を大きく二つを対照させてみているのが司馬氏の史観の概要だが、朱子学研究者による同じ趣旨の研究発表を台湾の学会でも聞いたことがあった。このページは他にも司馬氏の思想をまとめている。司馬氏の思想について
こうした朱子学観は、現代の日本人に広く影響している。たとえば、
物語「韓国人」田中正明
他者としての朝鮮半島 西尾幹二
中国思想の根幹と言える儒教思想について、詳しく語る能力はないが、台湾で行なわれている教育の方法を儒教的だと仮定すれば、日本で言われている「儒教」の解釈は、抽象化・思想化されすぎていて捉える方向が台湾とは違っているように思われる。台湾の教科書から見れば、基本は「四書五経」で日本で江戸時代に素読されていたとおりに今でも編纂され、暗唱されている。
C台湾での儒教は「三字経」の内容を見れば、分かる。
三字経(大修館書店ホームページ「漢字文化資料館」より転載/訓読・通釈・注は加藤敏先生による)内容は、儒教の経典紹介、中国の歴史、史上の人物、子供としての徳などとなっている。以下に、「螢の光」の典拠になっている部分を紹介する。
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如嚢蛍 如(も)しくは蛍(ほたる)を嚢(ふくろ)にし
如映雪 如(も)しくは雪(ゆき)に映(えい)ず
家雖貧 家(いへ)貧(まづ)しと雖(いへど)も
学不輟 学(まな)びて輟(や)まず
【通釈】晋の車胤は蛍を嚢に入れ、その明りで読書し、また孫康は、雪の明りで読書していたという。彼らは家は貧しかったが、学んでやめることがなかった。
【注】○嚢蛍=晋の車胤は、貧しくて油を買うことができなかったので、夏の夜には袋に数十匹の蛍を入れて、その光で読書をした。○映雪=晋の孫康は、貧しくて油を買うことができず、冬は雪明かりで読書をした。
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また、同じような努力を尊ぶ比喩がいくつかある。
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蚕吐糸 蚕(さん)は糸(いと)を吐(は)き
蜂醸蜜 蜂(はち)は蜜(みつ)を醸(かも)す
人不学 人(ひと)学(まな)ばずんば
不如物 物(もの)に如(し)かず
【通釈】蚕は糸を吐いて絹をもたらし、蜂は蜜を醸す。人が学ばなければ、物にも及ばないのである。
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そして、一種の人生設計も理想として歌われている。
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幼而学 幼(よう)にして学(まな)び
壮而行 壮(そう)にして行(おこな)ふ
上致君 上(かみ)は君(きみ)を致(いた)し
下沢民 下(しも)は民(たみ)を沢(うるほ)し
揚名声 名声(めいせい)を揚(あ)げ
顕父母 父母(ふぼ)を顕(あらは)し
光於前 前(まへ)を光(て)らし
裕於後 後(のち)を裕(ゆた)かにせよ
【通釈】幼くして学び、壮年になり官につきその道を行い、上は国のために力を尽くし、下は黎民に幸せをもたらすのである。そして名声を上げ、父母を顕彰し、先祖をかがやかし、子孫をゆたかにせよ。
【注】致君=主君を堯や舜のような聖天子にする。
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最後の一句は、台湾での儒教の性格を非常によく表している。
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勤有功 勤(つと)むれば功(こう)有(あ)り
戯無益 戯(たはむ)るれば益(えき)無(な)し
戒之哉 之(これ)を戒(いまし)めよや
宜勉力 宜(よろ)しく勉(つと)め力(つと)むべし
【通釈】努力して学べば功業があるであろう。戯れ怠ればなんの益も無いであろう。つつしみなさい。しっかりと努力しなくてはならない。
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個人の成長過程として、大学に出ている「格物、致知、誠意、正心、修身、斉家、治国、平天下」を、以上のようにまとめ、”人間は本来善であるから努力せよ”という理想主義として子供たちに教えているのである。思想などといって抽象化する前に、生活の知恵として、”勉強して役に立つ人に成りなさい”と勧めている極めて明快な内容である。
現代風に解釈し直せば、「格物、致知」は知育で、「誠意、正心、修身」は体育・徳育・美的教育だが、具体化すれば生活に必要な技術、健康管理、グローバル化の中で生きる知恵、審美眼やよい物を見極める訓練、職業訓練などを受けて自分を鍛えることになるだろう。「斉家」は家族や地域社会で生きる知恵と行動、「治国」は国家に関する知恵と権利・義務と行動、「平天下」は地球社会の一員としての知識と権利・義務と行動のようになるであろうか。
こうして台湾での「個人」は、「三字経」が極めて具体的に定義している。同時に、家族(家)、社会(国)、国家(天下)と個人との関係も極めて具体的に述べている。極論だと言うことを承知した上で敢て言えば、その点で、儒教は一種の個人主義的自由思想であると同時に、共同体的民主主義思想とも言える。日本では、戦前の国家主義的解釈や左翼系の封建的解釈が、儒教の意味を歪めていたのである。
原理としては、今日の再解釈を許す余地は極めて大きいと言える。”古くさい”と否定し去ることはやさしいが、今の混乱した学校教育全体を、こうして再組織することができ、人間とは何かを思想のような抽象レベルではなく具体的に社会に生きる知恵として教師と学生が共に考えることができるだろう。
4.灯台下暗し─教育の原理は極めて単純ではないのか?─
台湾での人間教育の原理は、基本的には「三字経」に尽きるのではないだろうか。実は、同じ知恵を私たち日本人も持っていた。江戸時代の教科書を見れば、おそらく同じ内容が表現は違っても書かれているであろう。学び方も、同じように暗唱して繰り返すという形だったに違いない。江戸時代的な物は、特に左翼史観の中で徹底的におとしめられたが、江戸時代再評価の中で、江戸時代の教育も再評価する考察が最近でている。
Wikipedia「日本の私塾一覽」
企画展 「江戸の学び −教育爆発の時代−」
講演:「江戸の文化と教育」
江戸時代の一端は以下のようなサイトから。
「逝きし世の面影」江戸末期から明治初期の外国人による日本人の印象をまとめている。ラフカディオ・ハーンもこうした教育を受けてきた日本の先人を高く評価している。
江戸の紙事情江戸時代の文化の高さを示す実例。
こうした内容を現代に生かそうとする試みも始まっている。
「辻本雅史著『「学び」の復権−模倣と習熟』」貝原益軒の思想を再評価した本。
加藤尚彦・教育のCSR:コミュニティ・スクール寺小屋論元国会議員が出している江戸時代的な実用的学校論。
江戸時代ブームは、それ自体では単なる復古趣味に終わってしまうものだが、原理を学ぶことで、現代に先人の知恵を復活させることは可能だろう。台湾の「三字経」は、そうした文化のエッセンスを極めて端的にまとめおり、今回、初めて全体を読んでみて、中国文化の原理性に驚いた。大陸の共産党は儒教批判で、自分の文化の最も優れたところを失ったと考えられる。台湾では、それはまだ生き続けている。日本の場合は、仏教の影響を抜きには文化は語れない点も合わせて考えれば、儒教と仏教は日本のかつての教育の二大原理だったのではないか。日本では、今後、台湾とはちがった形で、今後、人間教育を復活できる可能性がある。
制度論や法律論だけで「教育基本法」を論じても、無意味であろう。法は原理の器に過ぎないから、さまざまな原理が生きられる余地を法の中に残し、多様な可能性を各人が各地域、各持ち場で追求できるようにしておかないと、変動の時代に、「これしかない」というショービニズムは、個人の敗残ばかりではなく、共同体と国家の衰滅をもたらすだろう。
思想は極めて具体的な行動であることを、台湾の「三字経」は教えている。 |