1.「こころ」の時代という欺瞞
日本は、1980年代から90年代始めにかけて、未曾有の経済発展を遂げ、「JAPAN AS NO.1」と呼ばれた、栄光の時代を経験しました。しかし、その時代には不思議なことに、中野孝司『清貧の時代』がベストセラーになるなど、経済の豊かさとは裏腹に、物質的豊かさを否定して”こころ”の豊かさを言うのが、一つの流行になりました。NHKの宗教番組がそれまでの名を変えて”こころの時間”に変わったのも端的なその一例ですし、こうした言い方は既に日本の栄光が過去のものになった現在でも、香山リカ『こころの時代解体新書』のように、やはり、人間の生き方を問うものとして使われています。こうした呼び方の奇怪さについて、今更問う人はほとんどありませんが、よく考えてみれば、”もの”の豊かさと”こころ”の豊かさは、本当に対立しているのでしょうか?「台湾の奇跡」の発展と言われた1990年代に、私は台湾に住むようになったのですが、その時期から、台湾がバブル崩壊を経験した今にいたるまで台湾には、それに類する言い方はまったく生まれませんでした。物質的豊かさがこころに病をもたらすなら、同じように、台湾でも「こころ」を求める大衆の動きや、深刻な家族崩壊や青少年問題が起こったことにたいする反動があるはずですが、日本人の思考を席卷したともいえる「こころ」の豊かさというような言い方は、まったく、台湾ではうまれなかったのです。
台湾では「こころの時代」という言い方すら生まれなかったのに、日本で、なぜ、こうした思考法が始まったのか、以下、考えてみたいと思います。
「こころ」の豊かさという疑問に対して、この二十年余り、いろいろな答えが出されてきました。代表的な解答を以下に要約してみましょう。
(1)日本型社会の否定
最も目立つ解答の一つは、「日本の社会は、仕事ばかりで生活にゆとりがない、仕事中心の生活スタイルが間違っている」というものでした。また、「女性が差別され、弱者に過酷な社会である」、「社会福祉が軽視され、住環境、文化環境が貧困である」というような人的、社会的環境を問題にして、日本社会の後進性を指摘する言論も活発でした。これらの議論には、欧米社会というモデルを基準にして、日本社会を後進的にみなす傾向がはっきりとありました。経済的に成功したにもかかわらず、むしろ、この時代、日本的な生き方、進み方は否定され、欧米をモデルにするべきという論が活発になったのです。これは、同じ頃始まった国際化の流れとも一致しています。中曽根内閣が始めた留学生拡大計画は、一見すると、日本文化や日本社会の良さを海外に伝えるために留学生を増やすという内容のようですが、実は、肝心の伝えるべき日本文化に関係した学部への留学生は、少なく、大多数は、日本経済の成功に倣うために、経済、法律、工学など、
いわゆる日本文化とは関係のない分野での留学生が大半だったのです。この時代の留学生が、台湾でも活躍していますが、この時代の政策のため工学博士や法学博士が日本語学科長をしていたりするという奇妙な状態になっています。日本語すら彼らは専門ではないのです。伝えるべき日本文化に自信がなく、欧米から評価の高かった経済・工業関連の分野に留学生を大量に引き入れたため、こうした
不自然な結果になったわけです。最も成功していたとき、自分自身を否定するような行動を取り始めたというのは、大変、奇妙なことのようですが、その答えはやはり”こころの時代”にあると言えるでしょう。「ヨーロッパの生活は、ゆとりがあり、生活を楽しむ習慣が豊かな社会を感じさせる」とか「欧米では、女性の権利や少数者の権利が保障され、弱者を支える仕組みが、社会に余裕を与えている」とか、このような種類の論は、今でも、よく聞くところです。確かに一面ではそうでしょう。しかし、問題は、その帰結として、「日本は後進的だ」、「日本には文化がない」というようなステレオタイプの結論が反復されてきたことです。こうした、日本社会への全否定的見方が、欧米のように豊かになるには、”こころの時代”だという論理的飛躍に結びつくのは、ごく自然な展開です。”こころの時代”は、言い換えれば、日本社会の生活スタイルは後進的だ、日本には見るべき文化がない、という自己否定の言い換えなのです。
(2)復古的歴史観の台頭
特に90年代から目立ち始めたもう一つの論調は、復古史観です。それは、いろいろな分野で進んでいます。杉浦日向子などの江戸時代風俗研究が広く認められるようになった江戸時代への回顧、司馬遼太郎に代表される明治維新・明治時代への絶贊、江藤淳、西部邁などが主導してきた明治型・戦前型社会の礼賛など、それぞれ、もっともよいとする社会のモデルは様々ですが、いずれも、過去の既に跡形もなくなった時代と人物を持ち出して、それにはこんなすばらしいところがあった、特に、人間の心が豊かだった、生き方が素晴らしかったという形で礼賛するのは、共通しています。確かに、それらにも一理あります。60・70年代、左翼勢力の最後の全盛期には、日本の過去は全否定されて、「封建制」の一言で片づけられ、また、現代も「独占資本」と却下されていたのに比べれば、過去が取り戻せただけ、よいのかもしれませんが、しかし、いずれにしても、「現代」がすっぽりと評価の対象から抜け落ちているのは、いずれにも共通しています。つまり、いずれの史観でも「現代」は空白なのです。復古史観の場合でも、左翼史観の場合でも、私達が生きている「日本国」と現代人は否定されているのです。そうした空白に、先に述べた”欧米は豊かな社会だ”という論理が入り込んだり、”かつての日本はこんなに豊かだった”という論理が入り込んだりしているのです。ここでも先に見た日本型社会への否定と同様、特に、現代という日本を否定しようとする志向が働いていることが分かります。また、「現代」の否定の帰結として、「現代人はこころを失っている」、したがって”こころの時代”だと、展開していくのも、先の欧米礼賛と、まったく同じ論法です。両者はまったく違う動きのようですが、「現代日本の否定」という点では、まったく同じ思考なのです。
(3)メディアによる消費社会の礼賛
もう一つ奇妙な論理が支配する世界があります。それは、ニュースや音楽などメディア産業の論理です。80年代を代表する歌手と言えば、評価は様々でしょうが、たとえば、松任谷由美をその一人としてあげてもおかしくないでしょう。彼女の歌は、80年代から90年代にかけて、クリスマス、サーフィン、海外旅行などをテーマにして、一世を風靡しました。「豊かな社会」という幻想を大いに宣伝、皷舞し、「こんな豊かな社会に生きているのだから・・・」というメッセージを繰り返し、繰り返し流していました(私も聞いていたのですが・・・)。”こころの時代”という標語をメディアは創り上げる一方で、消費社会の幻想を拡大していったのです。これは、一見すると、「現代」の日本を肯定しているようですが、実は、そこに大きな欺瞞があります。つまり、「豊かな社会」を象徴するのは、「クリスマス、サーフィン、海外旅行」であって、今、自分が住んでいる日本の光景ではな
かったのです。すべて文字通り海外から持ってきた「空想」、「幻想」の世界です。「現代」の日本の実像の上に、「幻想」をかぶせて、「豊かな社会」に見せかけようとしたと
も言えるでしょう。これは一種の麻薬です。メディアによる消費社会の礼賛は、そのほか、いくらでもあげることができます。グルメブーム、旅行ブーム、エステブーム、健康ブーム、80年代以降顕著になったこうしたニュースやワイドショーの内容は、人々の行動を明らかに歪めてきたと思われます。つまり、自分の価値観や基準で、人々が行動する
代わりに、時流に乗ることを第一とするような風潮を作り上げてきたと言えるのです。グルメ番組で紹介された店に人が殺到するのも、自分の足で確かめるより、番組の情報を優先した結果です。
また、女性の美しさや男性の魅力も個人個人の好みがあって、それに従えばいいにもかかわらず、マスコミの情報は「美しいのは〜だけだ」という強迫観念を人々に今も与え続けています。ものの豊かさという意味を、自分の好みで自由に選択できる可能性を広げるという本来の意味から、歪めて、メディアは、特定の価値観に従って行動することであると、変えてしまった訳です。これは、”時流に遅れたら生き残れない”というような言い方で、一種の脅迫として日本社会を席捲してきました。”こころの時代”も、容易に、そうした隙間に入り込む一つの標語であったと言えるでしょう。メディアも、「現代」の日本の現実を否定して、幻想の消費社会を作り上げてきた点では、まったく、先に見た、論と同じなのです。
注目すべきことは、これらに共通して、いずれも、「〜はすばらしい」といいながら、その一方で、現代に生きる私達の生き方・現実を全否定しているという構造です。「こころの時代」とは、言い換えれば、”お前たち現代の日本人は無意味だ、だめなんだ”という正反対の言表を裏にかくした詐術的ステートメントなのです。
これと同じ言表は心理学などの中で、早くから注目されてきました。心理学で言われている、子供を絶対的にだめにする親の行動の一つに、アンビバレンツ、ダブルバインドというような言い方で捉えられる行動があります。顔は笑っているのに、口からは「お前はばかだ、死んでしまえ」という冷たい言い方がいつも出てくる、あるいは、口では「お前が一番大事だよ」といいながら、いつも顔を決して子供のほうに向けない、など、相手に矛盾するメッセージを伝え、身動きできないようにすることです。こうした育てられ方をした子供は、精神病的人格と呼ばれる、深刻な人格障害を抱えた成人になっていきます。まさに、「こころの時代」はアンビバレンツ、ダブルバインドなメッセージの代表と言えるでしょう。アンビバレンツ、ダブルバインドなメッセージにさらされた子供たちは、自分が居る世界や周りの人々を信頼できなくなり、ひきこもりや自殺のような自己否定的行動や、暴力的傾向やサディズム、マゾヒズムのような変態的行動をとるようになります。こういう言動に幼児期からさらされ続けると、周りの世界や人間が、本当はまったく別のものかもしれないとか、実は○○と言っているが、本当は**を望んでいるとか、母の姿をしているが、実は&&の化けたものであるとかいうような、恐怖、疑惑、妄想にさいなまれ、関係が安定せず自立できないのです。
日本では、この20年あまり、物質的に世界一惠まれた国の一つになったのですから、それを生かしてそれを享受する方法を、説いたり考えたりすればいいのに、逆に、人々の間からは、「こころの時代」という柔らかな言い方で、「お前の生き方は全く間違っている、救いようがない」という咒詛が、いつも、形を変えて流れ続けていたのです。
台湾で「こころの時代」という言表がまったくなく、日本で流行してきたところには、 日本的な個人の自立に関する問題が隠されています。
その結果は、この10年あまり、
かつての平和だった日本からは信じられないような、数々の日本人の精神障害的行動による悲惨な事件が毎年のように報告されることからも、はっきりしています。そして、こんな状態にさらされ続けて正気を保っている人の方が少なくなっているのは当然のことでしょう。2004年2月15日のNHKニュースでは、15才から24才の若者の約20%が、就学も就業もしていないという労働力調査のニュースを流しました。今24才の人は、1980年前後頃に、生まれた人ですから、これらの世代は、「Japan
as
NO.1」の栄光とその後の没落の中を生きてきた、「こころの時代」の言表をまともに受けた世代だと言えます。これらの世代は、犯罪やひきこもりの傾向も際だっており、これらの世代が、まるで「現代」の日本社会を否定するかのような行動を示しているのは、単に就学・就業の問題ではありません。正常な人的社会的関係が機能していれば、就業できないなどの問題はもっと早くから社会問題化していたはずですが、「フリーター」にその一つの症状が出始めたのは、1990年の後半、橋本政権崩壊の頃です。ちょうど、今20歳代の若者が高校へ進学するか、社会へ出るかの頃でした。若者とは一般に反逆的な生き方をするものですが、こうした世代には、そうした積極性よりも、「こころの時代」を求める、つまり、自分の子供時代の「バブル」的うたかたを再現したいという退嬰的な感覚が強いようです。「Japan
as
NO.1」の栄光や「バブル」という、もうないものを求めているから、勉強もしない、自分の希望に合わない仕事にはつかない、という論理から拔け出せないのだと思われます。しかし、日本の若者が病んでいるのは、青少年にそれが端的に現れるというだけで、実は、ダブルバインドな行動を取り続けて病んでいるのは成人とその人的関係なのです。
2.「こころの時代」の病理
以上見てきたように、「こころの時代」という言表は、人間の自己同一認識(異質な対象を取り込みながら自分の一体性を保とうとする動き)を破壊するアンビバレンツな言表構造によって生まれていました。こうした言説に終始一貫さらされ続けた近現代の日本人は、その多くの人が、自己分裂的精神構造(自分の一部だけを自分と思うように強制されたり、あるいは、今の自分ではない自分を自分だと思いこまされたりする精神構造)に苦しむ結果になったと言えます。
しかし、そうした自己分裂は、実は、明治期から既に始まっていたものです。例えば、国語否定論です。明治期の森有礼、戦後の志賀直哉など当時の代表的知識人が、フランス語を国語に変えるべきだという、まったく実現不可能な意見を、本気で出しているのです。そして、この
統合失調症的言表としか言いようがない主張を、本人ばかりではなく、周囲の最高の知識人たちである大学、政府関係者などが大まじめで、受けとめていたのです。そうした延長上に、現代でも森有正などに代表される「日本語は非論理的(劣ったと同義で使われています)言語である」という「日本語否定論」があります。論理的でない日本語という言語しか使わない国民が、戦後の過酷な技術経済戦争の中で世界第二位のGDPを誇る近代国家を造っているというのは、ありえないことでしょう。逆に、二十世紀後半のわずか50年で世界帝国の主から凋落し、一介の地方国家に成り果てたイギリスやフランスで話されることばのどこが、「論理的」なのでしょうか。言語はその内部では、それぞれの環境と歴史に応じてユニークであり、その言語にとって論理的なのです。
よく聞かれる主張である「日本語に主語がない」ということを理由に日本語は論理的ではないと主張する人々は、では、「名詞を必ず女性か男性かで分けなくてはならない」フランス語のどこが論理的か説明できるでしょうか。「日本語に主語がない」は、一見すればありえないことで、言う必要があるかどうかその都度判断しているだけのことです。フランス語の男性名詞・女性名詞は、その祖先のゲルマン語+ケルト語+ギリシア語・ラテン語などに、共通してそうした区別があったのをただ受け継いでいるだけのことです。言語の優劣と、論理的に話したり書いたりするかどうかは、まったく関係のないことです。そして何より、優劣で捉える発想自体が、実は、自己分裂的な状態の象徴です。何でも比較しなくては安心できないという自己不安の表れにほかならないからです。比較すべきでないものを比べるのは、明らかに、異常であり、病的です。自分の文化に自信を持っている台湾の中では、中国語は他の言語より優れているというような主張をするとか、あるいは、英語は中国語より優れていると述べる意見は、ほとんど聞かれません。逆に、英語を身につけて国際化に対応しようとか、台湾語や各原住民の言語をどのように保存するかということが、常に議論されています。
不要な比較をしない文化圈では、行動は具体的であり、違っていて当り前だという発想で、知識人も政府関係者もそれに対応するのを当たり前に動いているのです。日本の中では、一種のパラダイム(基凖概念)として当然のように行なわれてきた言語に関する
優劣の抽象的議論は、実は、日本人が近代化以後にこだわり続けてきた
自己不安の問題であり、おそらく、「文化侵略」として英語を排斥しようとしているフランスなどおちぶれ始めた先進国や、海外の大衆文化を侵略と捉える韓国、中華人民共和国などと、それは共通しているのでしょう。
つまり、言語に関する優劣の議論は、自己が崩壊しそうな劣等感・危機感の裏返しなのです。
一方、現代では、逆なケースもあります。復古史観をとなえる人達の「旧仮名遣い」の主張です。福田恆有、円谷才一など、国語論争で有名になった人達は、歴史的伝統を守るためだと主張して、旧かな遣いに戻すことを主張してきました。「ちょうちょう」を「てふてふ」と書けというわけです。実際に「蝶」を「てふ(tiau)」と読んでいた平安時代には、仮名は
かなり実際の単語の発音に一致していました。しかし、その後、日本語には大規模な発音組織の変化が生じて、仮名は、実際の単語の発音には一致しなくなりました。
従って、「旧仮名遣い」の主張で行けば、平安時代の言語的伝統だけは守るべきだが、それ以降の変化は受け入れるべきではないという主張になります。特定の時代を真と見なして、他の時代を排除するところにまさに、自己分裂の具体的な姿があります。歴史が連続している、つまり、私達の命が連綿として続いてきたことを、この人たちはその一部を切り取って残りを否定するのです。また、私達の言葉には、構造の点でも、それ以降の時代に使われるようになったものがたくさんあります。一番根本的なのは、動詞変化が全く変わってしまったという点です。平安時代のかつての四段活用など大半の活用は室町時代に既に失われて、今の五段活用に変わっていきました。また、いわゆる古文に沢山出てくる助動詞も、室町時代
までにほとんどは失われて、現代の助動詞とほぼ同じ形に再編成されました。仮名だけを平安時代に合わせても、問題はまったく解決しないのです。単語はもちろんです。現代語の単語の多くは、江戸時代から明治期にかけて創られたもので、それなしには、もはや私達の精神は、その語るべき内容の大半を失うでしょう。フランス語に変えてしまえという「国語廃止」論と、「旧仮名遣い」論の根は、一見すると正反対のようですが、まったく同じなのです。つまり。「現代」
つまり現に生きている私達は、唾棄すべき時代であり存在であるという、自己嫌悪
・自己否定が共通しているのです。
こうした思考に苦しんだ跡を、文学にたどるのは簡単でしょう。たとえば、志賀直哉自身が、既に小説は書けなくなった壮年期以降を除けば、青年期に神経症で苦しめられていたのは、その作品『廿代一面』などに明らかです。明治時代を西洋に追いつこうとして、いつまでも追いつけない「普請中」と呼んだ森鴎外にせよ、同時代の文壇から離れ、韜晦を常とした漱石にせよ、自分の時代に安住できなかったのは同じです。日本の近代化は、司馬遼太郎の言うように、個人を解放するという積極的な面もありましたが、同時に、日本人の生き方の中に、「自己分裂」という、時限爆弾を投げ込んでいたのです。「こころの時代」も、そうした先人たちがしたのと同じ様な、「普請中」と同質な、日本人として変えようのない現実を否定する言表です。
「こころの時代」という問題は、実は物質的豊かさの問題ではなく、自己分裂の問題であることが、お分かりいただけたでしょうか?
3.「こころの時代」から「生活の時代」へ
「こころの時代」は、自分の現在に足がおろせないという不安の表れとも言えます。自分がやっていることに自信が持てないということでもあります。
近代という時代が仕掛けていた時限爆弾が、起爆して壊滅的な被害をほぼ百年後の私達に与えているとも言えるのです。「こころの時代」という、「お前はまったく無意味だ」というダブルバインドな咒詛や、「別の自分がありえる」というような空想、虚妄の発想を変え
、自己分裂から現在の自己に戻らない限り、今後、日本の再生はありえないと思います。
では、どうすれば、現在の自己を取り戻せるでしょうか?
その歩みは一筋縄ではいかないでしょうが、同じように近代化してきながら別な道を歩んでいる台湾を例に考えてみることは、一つの提案としては、まったく無意味だとは言えないでしょう。
その一つは、前々回に述べた多様性の確保・保存です。
今回は、別の側面、「豊かさの享受」、「文化的活力」を取り上げてみましょう。
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