(一) 度会神道(伊勢神道) 度会神道は、伊勢の外宮の祠官を歴代に亘って勤めた度会氏の唱道する神道論であるため、この名があるが、別に外宮神道・伊勢神道とも呼ばれる。 「神道五部書」(「度会神道大成」前篇)の中の一書「御鎮座本紀」に、「天地未ダ剖レズ。陰陽分カレザル以前。是レヲ混沌ト名ヅク。万物ノ霊是レヲ封ジテ虚空神ト名ヅク。亦大元神ト日フ。亦国常立神ナリ。亦倶生神ト名ヅク。希夷視聴ノ外。氤氳気象ノ申。虚ニシテ霊有リ。一ニシテ体無シ。故ニ広大ノ慈悲ヲ発シ。自在ノ神力ニ於イテ。種々ノ形ニ現ハレ。種々ノ心行ニ随ッテ。方便利益ヲ為ス。表ハルル所ヲ名ヅケテ大日孁貴ト日フ。亦天照神ト曰フ。万物ノ本体ト為テ。万品ヲ度スルコト。世間ノ人児ヲ母胎ニ宿スガ如シ。亦止由気皇太神ハ月天尊ナリ。天地ノ間。気形質未ダ相離レズ。是レヲ渾淪ト名ヅク。顕ハルル所ノ尊形。是レヲ金剛神ト名ヅク。生化ノ本性、万物ノ惣体ナリ。(中略)大慈ノ本誓ニ任セテ。(中略)万品ヲ利スルコト水徳ノ如シ。故ニ亦御気都神ト名ヅクルナリ」(天地未剖。陰陽不分以前。是名渾沌。万物霊是封名虚空神。亦曰大元神。亦国常立神。亦名倶生神。@希夷視聴之外。氤氳気象之中。虚而有霊。一而無体。故発広大慈悲。於自在神力。現種々形。随種々心形。為方便利益。所表名曰大日孁貴。亦曰天照神。為万物本体。度万品。世間人児如宿母胎也。亦止由気皇太神月天尊。天地之間。A気形質未相離。是名渾淪。所顕尊形。是名金剛神。生化本性。万物惣体也。(中略)任大慈本誓。(中略)利万品如水徳。故亦名御気都神也)と述べられているように(2)、この神道論においては、真の実在が虚空神であり、これはまた大元神としての国常立神であると考えられている。本源的な原初の存在を想定したこと、しかもそれを記紀の初出の神すなわち国常立神に比定したことが特に重要である。この点で、仏家の唱道にかかる神道が本地垂迹説を適用して垂迹神に究極の最高神格を与えたのと明確に異なる。 この国常立神は、『日本書紀』(巻第一「神代上」第一段)が「天地初めて判るるときに、一物虚中(そらのなか)に在り。状貌言ひ難し。其の中に自づから化生(なりい)づる神有(いま)す。国常立噂と号す」(一書第一)と記す(天地初判、一物在於虚中。状貌難言。其中自有化生之神。号国常立尊。『日本古典文学大系』六七「日本書紀」上)ように、天地初発の時すでに存在した原初の神であるが、『御鎮座本紀』では、この神を本源として、万物を利益するために、天照大神と止由気(豊受)大神が化現してくるとする。 国常立神が原初的な根本神格である所以を、「御鎮座本紀」は、文中に下線を付した部分@及びAで説明するが、@は『老子』第一四章(岩波文庫『老子』)「之を視むとするも見えざる、名づけて夷といひ、之を聴かむとするも聞えざる、名づけて希といふ」(視之不見、名日夷、聴之不聞、名日希)に由来する「老子述義」の一節である。度会神道の論書「大元神一秘書」の冒頭に「老子述義序云」として@を含む一節が引用されている(『度会神道大成』前篇)。 「希夷視聴之外」とは、「老子」の主題の一つである「道」の性格を説明するものである。「道」は人間の感覚を超えた形而上的な根源を意味するというのである。「道」については、『荘子』(知北遊篇)にも、「之を見れども形無く、之を聴けども声無し」(視之無形。聴之無声)とあって(「新訂中国古典選」)、道家が共通して「道」の超越的性格を強調している
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