一也。二字三画ニシテ一貫ノ象有リ。(中略)一心三観。一念三千、亦復是クノ如シ」(『新訂増補国史大系』第三一巻とあることである。これも前者にいう「一念三千」「一心三観」と同様に天台教学の「三諦即一」の理を「山」「王」の二字が含意しているというものである

 これら両者の場合は、「山」「王」という漢字の字画からの連想であり、語呂合わせにも似た牽強附会に等しいものと見られるが、或いは『耀天記』「山王事」の記述から示唆を得ている面もあろうかと推察される。いずれにせよ、山王権現の神名を天台教学の三諦即一の表徴と見なすというような、天台教学の領域には本来あり得ぬ解釈を立てて見せるところに、「山王事」の述作者の教養と思想的立場を読み取ることはできるであろう。

 要するに、山王神道は、天台宗系統の教理に明るい比叡山延暦寺の学僧の手によって編まれた神道論であり、第一に、本地垂迹説を採用して、日吉明神(山王権現)を本邦至高の神と見なしていること、第二に、当時の神国思想に対して、これを「釈迦如来ノ御本意ヲ知ラザル」ものとたしなり、反省を促していること、この二点がその特色である。(まとめ)

(二)  両部神道

 天台系の山王神道の他に、旧仏教側において提唱された仏家神道として両部神道がある。両部神道の代表的論書は『麗気記』(『続群書類従』第三輯上、『中世神道論』日本思想大系一九)である。これは、空海の作に仮託されてきたが、実際は、鎌倉時代後期に真言系の僧侶の手により成立したものといわれる。

 この系統の神道論は、真言密教の金剛界・胎蔵界の両部(両界)曼荼羅を、日本の神祇に配当して説明する。すなわち、『麗気記』の「天地麗気記」は、「伊弉諾尊ハ金剛界。俗躰、男形ニシテ、馬鳴菩薩ノ如ク、白馬ニ乗テ、手ニ斤(はかり)ヲ持チテ、一切衆生ノ善悪ヲ、之ヲ量リタマフ。伊弉冊尊ハ胎蔵界。俗躰、女形ナリ。但シ阿梨樹王ノ如シ。荷葉ニ乗ジテ説法、利生ス」と述べ、この諾冊二尊が「幽契ヲ為シテ一女三男ヲ所産ス。一女トハ天照皇太神」であると言う。

 さらに、『麗気記』の「天照皇大神宮鎮座次第」は、「天照皇大神ハ。(中略)本躰盧舎那ニシテ久遠ニ正覚ヲ成ゼリ。衆生ヲ度センガ為ノ故ニ。大明神ト示現ス。(中略)大八州大日本伊勢度会郡宇治郷五十鈴河ノ上ニ御鎮座マシマス。(中略)密号ハ。遍照金剛。神体ハ八咫鏡ニ座ス」と述べ、また、同書「五什鈴河山田原豊受皇太神鎮座次第」は、「豊受皇大神ハ。(中略)常住三世浄妙法身大毘盧遮那仏二シテ。亦法性自覚尊トモ名ヅケ。亦熾盛大日輪トモ名ヅクル也。金剛ハ号ナリ。遍照金剛。神号ハ。天御中主尊ナリ」と記し、本地垂迹説に基づいて、伊勢両宮の神々の本地を明かすとともに、その垂迹の由来が衆生済度にあることを説く。

 また、本地を同じくする(盧舎那または大毘盧遮那仏、すなわち、大日如来)伊勢の二神は、同書「二所大神宮麗気記」が明記するように、「内外両宮ノ太神ハ等シク一所ナリ。無二ニシテ無別ナリ」ということになるはずであるが、内外両宮・金胎両部の不二無別なる所以を、「外相ハ二宮ニ分カルレドモ。(中略)実仁波(まことには)不生ノ一義也」と述べて、真言密教の「阿字本不生」(阿字は万有を一つに包摂する)の教理に則って示している。

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