ず魔界に堕つと云云。実類の鬼神においては、置いて論ぜず。権化の垂迹に至っては、既に是れ大聖なり、上代の高僧皆以て帰敬す」(念仏之輩永別神明、不論権化実類、不憚宗廟大社。若侍神明必堕魔界云々。於実類鬼神者置而不論。至権化垂迹者既是大聖也、上代高僧皆以帰敬)〔日本思想大系一五『鎌倉旧仏教』〕(1)。 ここに見られるように、貞慶の専修念仏批判の理論的根拠は本地垂迹説である。専修念仏の教徒が、日本の神々を礼拝せず、もしこれらを礼拝すれば地獄に堕ちると説くのは、念仏教義の過失であると言う。なぜならば、日本の神々は仏・菩薩の権化であり垂迹であるからである。この過失を貞慶は「霊神に背く失」と言うが、日本の神々が霊神として尊崇すべき存在であることの根拠は、神々が神々であることに置かれでいるのではなく、それがまさしく仏・菩薩の垂迹であることに求められるのである。 (一) 山王神道 旧仏教側から提唱された神道論のうち、天台宗系統のそれが山王神道である。この派の論書としては、鎌倉時代後期に編集された『耀天記』が代表的作品であり、中でもその第三二章「山王事」(『続群書類従』第二輯下、『神道思想集』日本の思想一四)が注目される。 そこには、まず「神ト申ス真実ハ、山王ノ御事也」とある。このことをわきまえずに、世の中の人が単純に「日本国ハ神国トナリケレバ」などと思いならわすのは、釈迦の本意を知らないためである。よくよく思案すれば、釈迦が「我ハ日本国ノ中ニ日吉山王ト神ニ現ジテ。衆世(生)ノ現世後生ヲモタスケ。又ハ円宗ノ仏法ト云最上ノ大教ヲモマボラムト思ニ。(中略)我彼国ニ光ヲ和。神ト現ジテ衆生ヲ利益セン」となされたことが理解されるという。釈迦がはるばる印度から日本国へ渡来されたのは、日本国の衆生の現世と後生の安楽を保障して救済し、また、天台宗の仏教をひろめんがためであり、現に比叡山の麓に垂迹して山王権現として祭られているという。それゆえに、釈迦の垂迹を祭神とする「山王(権現)ハ日本無雙ノ霊社。天下第一ノ名神。諸社ノ中二ハ根本。万社ノ間ニハ起因ナリ」といわれるのである。 また、「山王事」には、「山」と「王」とのそれぞれの文字について、「山トハタゞザマ二現当二世ヲ兼ネテ生ヲ利スル詞」であるとし、「王トハヨコザマニ彼此万邦ヲスベテ。物ニ益スル儀ナリ」と記し、「山王」の二字に特別な含意のあることを示唆しているように解されるが、これと関連して、以下のニつの文献の記述が参考となるであろう。一つは『金剛秘密山王伝授大事』の「金剛秘密山王口伝」(『天台宗全書』第一二巻)に、「此ノ山王トハ竪ノ三点ニ横ノ一点ヲ加へ。横ノ三点ニ竪ノ一点ヲ加フル也。是ノ故二山王トハ不縦不横一念三千内証ノ法体也。此三千縦横ノ相貌が。歴歴トシテ法界円満セリ。是レ一心三観也」とあることである。漢字「山」「王」の二文字が、その字画から「一念三千」「一心三観」という天台教学の表徴をなすと見るのである。もう一つは『元亨釈書』(巻第一一)の「釈行円」の条に、「(山王)明神日ク。我が名ハ山王。(中略)三諦即一ヲ表スル也。山ノ字。竪ノ三画ハ空仮中也。横ノ一画ハ是レ即チ一也。王ノ字。横ノ三画ハ三諦也。竪ノ一画又 |