で天照大御神は天孫に己れの祀りを命しているし、また大国主神は国譲りに際して己れの祀りを要求している。しかしこれらの神々は祀りを要求することを最大の特色としている神ではない。しかるに御諸山の神あるいは大物主神は、最初大国主の神の前に現われる時に己れの祭祀を要求する神として現われ、そうしてその祭祀の要求以外に何の活動もしていないのである。その大物主神は人代に至ると神婚伝説の主人公として繰り返して物語られるのみならず、崇神紀の祭祀の物語の中心に現われる。神婚伝説はこの神の正体が蛇であることを語り、祭祀の物語はこの神が祟りの神であることを示している。そうしてこの祟りの物語はちょうどこの神が祭祀を要求することを主題としたものと言えるであろう。なぜなら、疫病の流行が神の祟りであることを見いだす物語は、このような神秘的な方への驚嘆を表現したのではなく、この神を祀れば疫病が鎮まるという祭祀の物語に過ぎぬからである。祭祀が充分に行なわれさえすれば神はその神秘的な力を振るおうとはしない。してみれば、重大なのは祭祀そのものであって、祀られる神自身ではない。祭祀の持つ呪力は祀られる神よりは強い。というよりも、この神の本質が実は祀られることに存しているのである。祀られる神の力として感ぜられるものは、実は祭祀そのものの呪力であったのである。祭祀は神秘な力をもって人間の生を守る。従ってまた祭祀の不足は祟りとして生を脅やかす。だからこそ祟りの神は祭祀を要求するのである。

 もっとも祟りの物語としては、他に出雲の大神の祟りが語られている。出雲の大神は大国主の神であり、従って御諸山の神を祀るとともに自ら祀られることを要求した神である。しからば第二類の神もまた祟りの神として現われるではないか、と言われるであろうが、しかし神代史に現われた限りにおいては大国主の神は祟りの神でなく、また古事記垂仁朝の祟りの物語に現われた限りにおいては出雲の大神は第二類の神ではない。ここでは出雲の大神は全然大物主の神と同じように祟りによっておのれの祭祀を要求する神である。皇子の唖を患える垂仁天皇の夢に現われて、「我宮を天皇の御舎のごと修理たまはば、御子必ず真事とはむ」という神である。こういう個所を見れば、書紀の一書が大物主神を出雲の大神の亦の名とするのもゆえなきではない、という気がする。われわれはこの物語において第四類の神を見いだせばよいのであって、強いて蘇りの神、仁愛の神たる大国主の神との統一を求める必要はないであろう。

 以上のごとく見れば、記紀の神代史において第二類の神々が表面に活躍し、第三類の神々が背景に退き、第四類の神々が外に排除せられているゆえんは、容易に理解せられるであろう。第三類第四類の神々の本質が祭祀そのものにあるに対して、第二類の神々の本質は祭祀を司どることに存するのである。祭祀の呪力は、ノエーマ的には山川の神神に投影され、ノエーシス的には祭祀を司どる者としての神々となる。前者はある山、ある川に位置づけられながら、しかも神としては漠然として取りとめのないものである。それに反して後者は、主体的なるがゆえに、人格的な神々たらざるを得ない。従ってこれらの神々は活動するに従って「歴史」を作る。それが神代史なのである。

 われわれは以上によって神話伝説に現われる神々の意義を明白にし得たかと思う。祭祀も祭祀を司どる者も、無限に深い神秘の発現しきたる通路として、神聖性を帯びてくる。そうしてその神聖性のゆえに神々として祟められたのである。しかし無限に深い神秘その

 

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