でもない。さらにまたその創造のゆえでもない。その尊貴性は常に背後から与えられる。しかもその背後には究極的な神があるわけではない。ただ背後にある無限に深い者の媒介者としてのみ、神々は神々となるのである。これは言いかえれば、神々は祀られるとともに常に自ら祀る神である、というにほかならない。しからばその神々は、祀る神としての現御神と本質において異なるものではないのである。 では前にあげた第三類の神、すなわち単に祀られるのみである非人格的な神はどうであろうか。 かかる神として記紀に記されているものは、ヤマツミ、ワタツミ、クニタマ、ミトシ、などのごとく、名のみであって、その特殊の働きを示さない神々である。さらにそれらは総括的に「山の神、河海の諸神」などと記されることもある。その名によってわれわれは、その神が山とか河とかに座を占めていることを推測することはできる。しかしそれ以外にこれらの神々がいかなるものであるかは全然知ることができぬ。ワタツミの神はその名からして海神であることが察せられるが、記紀にはこの神が阿曇の連等によって祀られていることを記しているほかに、この神が海神としていかなる活動をするか、そもそもこの神が海神であって山神でないゆえんはどこにあるか、については何事も語っていない。胸形の三女神も同様である。また「年」を祀ることは西アジアの原始宗教に顕著な現象であって、そこから蘇りの神が成立して来るとさえも説かれているものであるが、大年神、御年神、若年神などの年の神が果たして同様な信仰を指示するか否かは、全然明らかでない。宣長はトシの語源を田寄として説き、そこからトシに穀物の意味を認めて収穫と関係づけているが、それを肯定するとしても、名の意義が明らかとなっただけで、この神がいかなる活動をするかは不明である。延喜式祝詞祈年祭の条を見ると、この神がいかに祀られたかは明瞭にわかるが、神として何であったかは一層わからなくなる。というのは、祈年祭には一般に神社を祀るのであって、必ずしも御歳神社のみではないのである。もっとも御歳社には特に白馬、白猪、白鶏を供えるのであるが、しかし他の神の御前においても「御年皇神」と呼びかけて祝詞をささげることができるとすれば、年の神は「祈られるもの」として何か普遍的なもののように見える。「諸人の以拝く竃神」というの為同様である。竃の崇拝がギリシア・ローマの古い時代に顕著に存していたことは周知の事実であるが、ここに記された竃神が果たして同様に氏族や家族の祖先神を意味していたかどうかは知ることができぬ。明瞭なのはただ竃の神が祀られたということだけである。これらの例によって見れば、第三類の神々はただ単に祀られる者としてのみ語られているのである。 ここにわれわれは祀られることを本質とする神の類型を見いだすことができる。かかる神はただ祀られるのみであって自ら他の神を祀るのではないから、祀る神よりはー層優位にありそうに思われるが、記紀の示すところはちょうど逆なのである。それらは神々の内の下位にあり、その尊貴性は祀る神の尊貴性にはるかに及ばない。時には祀る神の活動を描くために、いわば祀る神の付属物として、単に想起せられるに過ぎぬことさえもある。これは神々の神聖性を理解するために看過してはならない点である。 祀られることを本質とするという点を積極的に示しているのが、前にあげた第四類の神、すなわち祀りを要求する祟りの神である。祀りを要求するというだけならば、神代史の中
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