ミの二神は、最初の国土創造に失敗したとき、天つ神の所に帰ってそれを報告し、再び天つ神の命を請うた。その時天つ神たちは、いかなる仕方で命令を与えたか。驚くべきことには彼らは、「布斗麻邇爾ト相而」指令を与えたのである。占卜によって知られるのは不定の神の意志であるが、天つ神にとっての不定の神とは何であるか。天つ神の背後にはもう神々はない。しかもこれらの神々がなお占卜を用いるとすれば、この神々の背後になお何かがなくてはならぬ。それは神ではなくしていわば不定そのものである。すなわち最後の天つ神たちさえも不定者の現われる通路であって究極者ではない。究極者を神として把捉しようとする意図はここにはないのである。宣長はこの点について言っている、「今此天神の卜ヘ賜ふは、何神の御教を受賜ふぞと、疑ふ人も有なめど、共は漢籍意にて、古の意ばへに違へり。」(古事記伝、四。二二五ページ)古えの意ばえは究極者を何々の神として固定することはしない。 神代史の中にはスサノオの尊より大国主の神に至る別種の系統がある。それは神話学者が皇祖神の神話と並行した別種の神話体系として解釈しようとさえしているものである。が、それらにおいても事情は変わらない。大国主の神は八十神の迫害によって殺されるたびごとに、母の女神や神産巣日神の配慮によって蘇生させられた。だからこの神は兎を救う神であるとともにまた救われる神である。最後に母の女神の命によって根の国に行き、そこでスサノオの尊の残虐な試みに逢いつつ、ついにスサノオの尊の娘スセリ姫とともに地上の国へ逃げ帰ってくる。その時スサノオの尊から地上の国の統治者、すなわち「大国主」となることを命ぜられる。この命令によって大国主となったとき、統治の助力者としてまず現われたのは神産巣日の神の子少名毘古那の神であり、次いで現われたのは祀りを要求する御諸の神であった。してみれば大国主の神が、統治者であるとともにまた他の神の命令を受ける神、他の神を祀る神であることは明らかなのである。もっともこの神自身も国譲りに際しては祀られることを要求している。しかしこれは、天照大神の神鏡に関する神勅と同じく、祀られる神としての他の側面を反映しているだけであって、祀る神であることの反証とはならない。 では大国主の神をして大国主たらしめたスサノオの尊はどうであるか。もちろん同様なのである。この神はイザナギの尊から地上の国あるいは海原の統治を命ぜられるのであって、おのれの上に神を持たない神なのではない。ただこの神の独特な性格は、神命に不従順であって根の国に追放せられたということ、すなわち祀る神の地位にありながら祀る神としてふるまわなかったということに認められる。根の国が死の国にほかならぬとすれば、神命に従わぬものが死に価するという観念はここにも現わされている。そうして根の国におけるこの神の描写は、ちょうどこの神から尊貴性をはぎ取るような仕方でなされている。してみると、祀る神であることは尊貴性を担うゆえんであり、従ってまた祀られるゆえんともなるのである。スサノオの尊は否定を通じてこのことを示していると言ってよい。 かく見れば、スサノオの尊や大国主の神においても同一の事態が示されていることは明らかであろう。大国主の神は死して蘇った神であり、スサノオの尊は死の国の統治者である。イザナギの尊もまた一度死の国に至って、そこから帰って来た神として語られている。しかしこれらの神々が尊貴であるのは、その蘇りのゆえでもなくまた死の国の支配のゆえ
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