て、自らの意志により一切の事件の進行を創造するのではない。従ってこの物語全体を通じて大神自身の意志は語られていないと言ってよい。地上の国土が吾児の君臨すべき地であるとの宣言も、大神自身を地上の国の統治者として作り出したイザナギの神の意志を継いだのであって、大神自身の創意ではない。書紀の本文のごときはこれを高皇産霊尊の意志として物語っている。国土創造の神の意志と見るのも、ムスビの神すなわち生産の神の意志と見るのも、意味は同じであるかも知れぬ。してみれば、天照大神はかかる神意に従いそれを実現する神として描かれているのであって、自ら歴史を創造する神としてではない。 このことはさらに天照大神の「祀る神」としての性格に注目すれば一層明らかとなるであろう。高天原に上ったスサノオの尊の乱行を語る個所に、 天照大御神、坐忌服屋而、令織神御衣之時 (天照大御神、忌服屋にましまして、神御衣織らしめたまふときに。古事記) 天照大神方織神衣居斎服殿 (天照大神のまさに神衣を織りつつ斎服殿にましますを。書紀) とある。忌服屋、斎服殿が上代において神にささげるための神聖な衣服を織るところであったことは疑いがない。大神が自ら忌服屋に臨むのは、神衣を織ることがいかに重大な神事であったかを示すものであろう。だからこそこの神衣を汚したスサノオの尊の乱行は、寛容な天照大神の激怒を買い、天石屋戸ごもりを惹起するに至ったのである。してみると、天照大神は、自ら神を祀る祭司としての神なのである。しかもその祀られる神が何神であるかは全然記されていない。宣長はそれを天つ神と見る説に賛している。記紀初頭の神統記に記された神々のことであろう。しかし記紀の叙述から見れば、それは明白に不定の神である。天照大神もまた背後の不定の神を媒介する神として神聖なのであって、自ら究極の神なのではない。すなわちここにも神命の通路が表面へ出て神自身は後ろに退いている。 天の石屋戸の前の神集いの描写もまた同様の証拠として掲げてよいであろう。大神の怒りを鎮めるための祭儀の中には、鏡と玉とをもって飾る御幣、男鹿の肩骨を灼く太占、ウズメの命の神がかりなどがある。占卜や神がかりは不定な神の意志が現われきたる通路であるから、天照大神自身が直接に統治する天上の国においても、不定の神の命令が重んぜられていたのである。 皇祖神さえ右のごとくであるとすれば、他は顧みるに及ばないが、しかし天照大神を生み出したのはイザナギの神であるから、さらにさかのぼってこの神を考えてみると、この神の国土生産もまたもろもろの天つ神の命令に従ったのである。従ってイザナギの神も神命の通路であることに変わりはない。が、この通路たるイザナギの命の国土生産が明らかに表面へ出ているに反し、この命令を与えた神々はあまり明瞭でない。ここでもろもろの天つ神という以上、天地初発の時高天原に成りませる神々に相違はないが、しかしその叙述は、不定の神の命令と言ってもよいほどに漠然としたものである。 この最後の天つ神たちは天地初発の時の神々であるから、それ以上により古い神あるいはより高い神があるはずはない。従ってこの神々の命令こそ究極の神の意志を示すものでなくてはならぬ。しかるに記紀の語るところはそうではないのである。イザナギ・イザナ
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