ものは、決して限定せられることのない背後の力として、神々を神々たらしめつつもそれ自身ついに神とせられることがなかった。これが神話伝説における神の意義に関して最も注目せらるべき点である。究極者は一切の有るところの神々の根源でありつつ、それ自身いかなる神でもない。言いかえれば神々の根源は決して神として有るものにはならないところのもの、すなわち神聖なる「無」である。それは根源的な一者を対象的に把捉しなかったということを意味する。それは宗教の発展段階としてはまだ原始的であることを免れないが、しかし絶対者に対する態度としてはまことに正しいのである。絶対者を一定の神として対象化することは、実は絶対者を限定することにほかならない。それに反して絶対者を無限に流動する神聖性の母胎としてあくまでも無限定にとどめたところに、原始人の素直な、私のない、天真の大きさがある。それはやがて、より進んだ宗教的段階に到達するとともに、あらゆる世界宗教に対する自由寛容な受容性として、われわれの宗教史の特殊な性格を形成するに至るのである

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