ということを主題として物語られるのである。そこで物語は必然にその天つ神の伝統をさかのぼることになる。神代史の物語において主要な役をつとめる神々は、すべて第二類の神々であって、たといそれらが日の神、海原の神などと呼ばれるとしても、その活動は現人神の活動と変わりがなく、従って超人間的ではない。特にこれらの神々は祀られるとともに自らもまた祀る神であって、決して単に祀られるのみの神ではない。しかるに神代史の中にも、何の役目もつとめず、ただ名のみ掲げられた祀られるのみの神々がある。これが第三類の神である。が、記紀の物語においてはさらにもう一つ、第四類の神としてあぐべきものがある。それは神代史からは排除せられながらなお神話的な物語を担っている祀られる神である。これは祀りを要求する祟りの神として特性づけることができる。

 以上のごとくわれわれは記紀の物語のうちに、@祀る神、A祀るとともに祀られる神、B単に祀られるのみの神、C祀りを要求する祟りの神の四種類を分かつことができる。この区別は神の意義を考えるについて重要な視点である。

 まず祀られる神と祀る神との関係から考察を始めよう。新羅征伐の物語がその手がわりになる。初め天皇が熊襲を伐とうと企てたとき、息長帯姫に神がかりして、西方の宝の国を伐てという神の命令が下った。この神がかりの席には、天皇自ら臨席して琴をひくのであるから、現人神でありつつ自ら神を祀っているのである。しかるにこの際天皇は、神の命を信じなかったために、神の怒りに触れてにわかに崩じた。次いで再び神の命を請うと、同じく新羅征討の命令が下る。そこでその神の名をたずねると、天照大神の御心であり、また底筒男、中筒男、上筒男三柱の大神であるとの答えがあった。後の三神は、記紀の神統記にあっては天照大神のすぐ前に生まれたことになっているが、この物語においては特に目立つようにこの時初めて名が顕われたと記されている。のみならずさらに広く天神地祇、山神及び河海の諸神を祀るべしとの命令が下る。新羅征伐はこのような神の命令と神々の祭祀との中で行なわれた。

 この物語において注目すべきことは、神の命令によってかかる大事が決せられるのであるにかかわらず、その神が必ずしも皇祖神のみでなく、ここで初めて名の顕われるような神々だということである。しかもそれが何神の命であるかということは、きくまではわからない。従って最初神の命令の発せられる時には、不定の神々の命令として人間に与えられる。しかしそれはどこででも、誰にでも、与えられるというわけではない。命令を発する神は不定であっても、その命令の現われる場所はきわめて特殊に限定せられている。この物語では息長帯姫の神がかりがそれである。神々の意志はこの通路を通じてのみ現われた。それは沙庭にいて神命を請う者(審神)と、琴をひく者と、神主との三者により行なわれる儀式であって、神はこの神主に憑いてその命を現わすのである。その際何神がその命を伝えるかは予知されていない。従って神命を請う者も一定の神の命令を請うのではなくして、漠然と神々の命を聞こうとするのである。ここに、神命の通路がきわめて具体的に限定せられているにかかわらず、その命令を発する神々が漠然として不定である、という顕著な事実を指摘することができる。

 崇神紀に述べられた神がかりは卜問と結びついたものである。崇神天皇はその御代に頻々として起こる災害が何神かの祟りではないかを恐れ、亀卜によってその原因を知ろう

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