四、專論@

神話伝説における神の意義

 

和辻哲郎

 われわれは前章において日本初期の国民的統一の運動がいかに神聖な権威の下に行なわれたかを見て来た。そこでわれわれはこの神聖な権威が何であるか、総じて上代において神と呼ばれたものが何であったかを問題とし、それの国民的統一における意義を明らかにしたいと思う。

 ここにわれわれが考察するのは、エジプトのピラミッドにさえ比せられている壮大な古墳の築造せられた時期をその絶頂とする時代であって、記紀編纂の時代ではない。記紀編纂は次の時代の絶頂期に属する事業である。がこの、国家の体制がきわめてよく整備せられた次の時代において「神」がいかに考えられていたかということは、われわれの考察に対して非常によい出発点を与えてくれるであろう。特に「現神」の思想がそうである。

 この時代に万葉の歌人が大君を神として歌ったことは周知のことであるが、その公的な表現は、公式令詔書式に規定され、宣命詔勅等にしばしば用いられている「あきつみかみと大八島国知らしめす天皇」という句である。「あきつみかみ」は明神、現御神などと書かれているが、現実に現われた神、表現せられた神という意味に変わりはないであろう。天皇はすなわち現実に現われている神である、という思想がここ言い現わされている。この思想においては神の意義はかなり明白に限定せられていると言ってよい。すなわちこの神は、尊貴なるがゆえに神なのではあるが、しかしヤーヴェやゼウスのように超自然的、超人間的な力を振るう神なのではない。天皇は雨を降らせたり風を吹かせたりはしない。また人間の苦を救い病を癒すということもしない。人々は旱に際しては火雷神に雨を祈り、病に際しては薬師如来に平癒を祈った。天皇自らも神仏に祈願をこめた。天皇の名において神々に大幣を奉った記事は、いくらでもあげることができる。してみれば、天皇が自然現象や人間の運命を支配する神でないことは明白である。が、それによって火雷神が天皇よりも尊責なのではない。皇祖神以外に天皇と同じく尊貴な神はないのである。験の著しい神々に対して天皇が大幣を奉るとしても、その神々は必ずしもそれを祀る天皇ほど尊貴ではない、という一点に、われわれは特に注意しなくてはならぬ。以上によってわれわれは、神の意義のうちに三つの層を分かつことができる。一、天皇は天つ神の御子として神聖な権威を担っている神である。二、この神聖な権威の背後には皇祖神、天つ神としての神がある。それは天皇の尊貴性の根源である。三、雨の神、風の神のような自然人生を支配する神がある。これはヤーヴェやゼウスに最もよく似たものであるが、必ずしも尊貴性において優れず、また天皇の尊貴性の根源でもない。この三種の意義の区別は奈良時代においては明白に意識せられているのである。

 この区別をもって記紀の物語に臨むと、そこにもすでにこの区別の存することが見いだされるであろう。記紀の上代の物語において天皇が現人神であるとの考えは明白に現われている。のみならず神代から人代への移り行きは天皇が天つ神の神聖な伝統を担っている

 

24