これにたいしまして日本人は、四方を荒海で囲まれた孤島に住んでいたおかげで異民族の侵略を受けることもなく、太平無事の生活をしてきたわけで、イザヤ・ベンダサンに言わせれば「別荘育ちのお坊ちゃん」であります。あるいは「苦労知らずの箱入り娘」だと言ってよいかもしれません。箱入り娘の日本人は、中国人のようにすれておらず、うぶで純真です。そのかわり箱入り娘というものは、箱のふたを開けたとたんに、目に入ったものにすぐ惚れやすいという欠点をもっております。つまり一辺倒になりやすいのであります。

 それでは一辺倒ということと多元的思考法との関係はどうなるのか、という疑問が起こるわけでありますが、それはこう考えればよいと思います。日本人は多元の世界と多元の原理を持っているのでありまずが、それが一度に現われるのではなく、順番に一つずつ現われてくるのであります。ちょうどスライド写真を見るようなもので、場面は多く用意されているのでありますが、一度に一場面しか見ることができません。その場面が眼前にある間は、世界は一つしかなく、原理も一つしかありません。だから一辺倒になるわけです。しかしその場面が消えると、次の新しい場面の原理に一辺倒になります。つまり「のりかえ」方式であります。

 中国人のばあいは、同じ多元的思考法でありましても、その多元の世界、多元の原理というものが一度に目に入るのであります。したがって一つの原理にいきなり飛びつくということはありません。おもむろに気に入った原理を選びだしたり、その時の事情によって適当に複数の原理を使い分けたりします。つまり「使い分け」方式であります。

 「のりかえ」方式をとる日本人は、たえず新しい原理に一辺倒になるのでありますから、そこから日本人の無類の「新しものずき」という性格が出てまいります。日本人には「お前の考えはまちがっている」というよりは、「お前の考えは古い」といったほうが、こたえるのであります。そのかわり、もともと多元的思考法の持ち主でありますから、その新しいものもすぐ古くなり、のりかえを続けることになります。熱しやすく、さめやすいとも言えます。

 これとは反対に中国人は、「選択」ないし「使い分け」方式でありますから、決断に時間がかかり、腰が重い。いわゆる保守的な傾向になりやすいのであります。

一元的思考法と多元的思考法との将来

 そこで初めにお話いたしましたようなヨーロッパ風の一神教的、一元的思考法と、日本や中国のような多神教的、多元的思考法とを比較した場合、その長所と短所はどこにあるか、そしてその将来はどうなるのか、といった問題について考えてみたいと思うのであります。

 実を申しますと、ヨーロッパ文化が世界を支配し、近代文化といえばヨーロッパ文化をさすといった状態をもたらしたものは、その一元的思考法であると申してもよいと思うのであります。一つの原理を首尾一貫するという合理性、これが自然科学を初めとする近代学問を発展させる基礎になっております。また西洋の文学や芸術にみられる独得の力強さといったものも、やはり一つの世界観を貫徹しようとする激しい精神が生みだしたもので

 

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