ますと、儒教的な色彩の強い政治論があります。かれは新法党の王安石に反対した旧法党の人でありますから、これは当然でありましょう。ところが他方で、かれは老荘や仏教のファンでありまして、老荘思想を賛美した詩文がたいへん多いのであります。これは何としても矛盾でありますから、この二つがどのような構造で結びついているのか、いろいろ考えてみるのですが、どうしても結びつきません。やはり公人と私人の使い分けをしているとしか考えられないのであります。 このような日本人の「のりかえ」方式による変わり身の早さといい、中国人の「使い分け」方式による矛盾の無視といい、いずれも西洋風の一元論からは、あるいは変節と見られ、あるいは矛盾にたいする鈍感さと見られるものであります。しかし日本人や中国人にとりましては世界は多元であり、世界が変わればそこにある原理もまた変わるという、多元的思考法に従っているまでであります。 一辺倒の日本人と両辺倒の中国人 このように同じ多元の世界をもつ民族であっても、日本人は「のりかえ」方式、中国人は「使い分け」方式であるという違いがあります。そこからまた日本人と中国人の性格の相違が出てまいります。 戦前に上海で内山書店を経営していた内山完造という人があります。この人はただの本屋さんではなくて、中国の知識人の多くと親交があり、日中文化の交流に大きな役割を果たした人で、民間大使だなどと言われるほどであります。この内山さんが終戦後、日本に引揚げてまいりまして、『両辺倒』という随筆を書きました。 もちろん両辺倒という言葉は内山さんが作ったもので、毛沢東の「ソ連一辺倒たれ」という言葉をもじったものであります。今から思いますと、ずいぶん隔世の感がありますけれども、当時の中国はソ連一辺倒だったのであります。 そこで内山さんはこう言われるのです。中国人はほうっておくと両辺倒になる民族である。つまり、何かすばらしいことを聞いたばあいに、なるほどと一応は感心するけれども、しかし人間のいうことであるから完全であるはずはない。それは一面の真理であろうが、別の角度から見れば、また違った見方があるかもしれぬ、ということを本能的に感じとるのである。それはインテリばかりでなくて、無知な農民に至るまで同じである。だからこそ「一辺倒たれ」という教訓が必要になる。 これに反して日本人は、ほうっておけば一辺倒になる民族である。何かよいことを聞くと、すぐこれを絶対化して、身も心も帰依するというふうになる。だから日本では「両辺倒たれ」というのが教訓としてふさわしいというのであります。 それではなぜそのような違いが生まれてきたかと申しますと、中国の場合は昔からずいぶん政治の支配者が交代してきました。中には異民族の支配者であることもあります。そのように支配者が交代するたびに、支配の原理もくるくると変わるわけであります。つまり原理の多様性と変化に慣れております。いきおい一つの原理を絶対化しないという習性が生まれます。したがって中国の民衆をひっぱってゆくためには、絶えず「ひきしめ」を繰り返す必要があるわけであります。 |