それはキリスト教の精神に反するものではなく、神に背く者に苦痛を多くあたえることはそれだけ神に忠実なゆえんである、というのであります。有名なジャンヌ・ダルクも、最後は魔女として処刑されております。 もっとも、このような例をあげますと、日本にも一向一揆やキリシタン迫害があるではないか、という疑問が起こるかと思います。しかしこの二つは、いずれも政治と宗教の間に起こった衝突でありまして、異教徒にたいする宗教的不寛容が原因になっているとは思われません。日本にはヨーロッパのような意味での宗教戦争はなかったのではないか、と考えられます。 そこで問題になることは、もともと砂漠の遊牧民の間に生まれたキリスト教が、どうしてヨーロッパの土地に定着することができたか、ということであります。 ご存じのように日本は純粋の農耕地帯であり、牧畜はほとんど行なわれなかったのでありますが、ヨーロッパでは農業とともに牧畜が古くから行なわれていたのであります。 もともとヨーロッパはあまり農業に適した土地ではありません。地質学者の説によりますと、過去に三度も氷河期があり、氷河が表面の肥えた土を押し流してしまったために、土地がたいへんやせているそうであります。そのため和辻さんの『風土』にもありますように、ヨーロッパでは日本のようには雑草が生えないのであります。これは農耕には都合がよいのですが、そのかわり作物もよくできないということになります。 その上、ヨーロッパは雨が少なく、年間の平均雨量が六〇〇ミリ程度のところが大部分であります。東京や京都は千五、六〇〇ミリ、富山市は二千四〇〇ミリあるということでありますから、たいへんな違いであります。それにヨーロッパの雨は一年中、平均して雨が降り、日本のような夏雨型ではありません。夏に雨が集中して降るということは、植物の成長のいちばん盛んなときに水が多いということでありますから、農業にとってはありがたいことでありますが、ヨーロッパにはそれがありません。 したがってヨーロッパでは、単位面積あたりの収量の少ない麦や雑穀を作るわけでありますが、それも出来がよくありませんから、どうしても牧畜に頼ることになります。 われわれは毎日、米を食っておりますので、そのありがたさに気がつかないのでありますが、米はある意味では完全食品なのでありまして、蛋白質の量も相当に含んでおりますから、それほど肉食を必要としません。ところが米が作れず、麦やジャガイモしか取れないヨーロッパでは、動物の肉や乳が必要になるわけです。さいわいに栄養失調のヒョロヒョロした草は動物の飼料に適しており、おまけに氷河が険しい山を削ってくれたおかげでなだらかな丘陵が多く、牧場の適地が至るところにあります。このためヨーロッパでは農業にもまして牧畜が大きな比重を占めてきたわけです。和辻さんがヨーロッパの風土を、「牧場」として性格づけたのも、やはりそのためであります。 このようにヨーロッパでは牧畜の要素がたいへん強いわけであります。ヨーロッパは砂漠でないのに、砂漠の遊牧民の宗教を受け入れ、これを土着させたのは、この牧場的な性格があずかって力があったように思われるのであります。 |