はそうではないようであります。ユダヤ教のほうからみますと、キリスト教というのは一つの分派にすぎず、キリストもユダヤ教に多い予言者の一人に数えられているのであります。ですから、てっとりばやく申しますと、ユダヤ教とキリスト教というのは、日本の浄土宗と浄土真宗の関係にあると言ってもよいのではないかと思われます。

 しかしながら、キリスト教はユダヤ教から生まれたとはいえ、それとはたいへん違った性格をもつようになりました。つまりユダヤ教はユダヤ民族だけの宗教でありますが、キリスト教は人類の教え、世界の教えでありまして、世界宗教となりました。もはや民族というワクにしばられない、人類の宗教となったのであります。これが第一点です。

 第二点は、ねたみと憎しみの神であったエホバを、愛の神に変身させたことであります。汝の敵を愛せよという、徹底した愛の神にしたのであります。もしこのキリスト教の本来の精神がそのまま守られたならば、おそらくキリスト教ほど寛容な宗教はない、ということになったであろうと思われるのであります。

キリスト教の不寛容性

 ところが、このキリスト教がギリシアからローマ、さらにはアルプスを越えて北ヨーロッパに広がるにつれて、この愛の立場が貫かれたとは言いにくいものがあるように見えるのであります。むしろ生みの親であるユダヤ教の性格が、だんだん出てきたのではないかと思わせるものがあります。つまり一神教特有のきびしさ、こと異教徒に関するかぎりは容赦しないという、不寛容の性格がそれであります。

 キリスト教の異教徒にたいする不寛容といえば、すぐに例の十字軍が思い出されます。また同じキリスト教内部におきましても、異端にたいしては激しい憎悪を示します。三十年戦争というのは、新教と旧教との争いで、女や子供までが参加するというすさまじい宗教戦争であったわけであります。現在も北アイルランドで、新教と旧教の住民のあいだに戦争まがいのことが行なわれているようでありますが、日本にあてはめて考えれば、さしづめ浄土宗と禅宗とがけんかするようなものであり、想像もつかないことであります。

 このようなキリスト教の異端征伐の恐ろしさを示すものとしては、有名な魔女狩りがあります。これは中世から近世初頭まで、数世紀にわたって行なわれたものであります。魔女というのは、西洋のおとぎ話に出てくる、ほうきにまたがって空を飛んでいるお婆さんがそれであります。これを捕えて処刑するのが魔女狩りであります。

 もともとアルプス以北のヨーロッパにキリスト教が広がったのは、だいぶん後のことでありますが、それまでにはゲルマン民族の土俗信仰があったわけで、この魔女というのはそういう土俗信仰の名ごりであったと考えられております。キリスト教は、こうした異端の信仰には我慢がならないのでありまして、これを徹底的に駆逐しようとしたのであります。このため殺された魔女がどのくらいあったかと申しますと、少なく見積もる人でも三、四百万人、多く見積もる人は一千万人あったとみております。数世紀にわたるとはいえ、想像を絶した数であります。

 しかもその殺し方も火あぶりの刑でありますが、中には急に殺したのでは苦痛が少ないというので、徐々に温度を上げていくといったやりかたをする場合もあったといいます。

 

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