ところで従来の宗教学では、多神教というのは、宗教の発展段階としては古くて原始的である、そこからだんだん宗教が進化して一神教が生まれた、といった考え方が強かったのであります。それからまた反対に、ウィーン大学のウィルヘルム・シュミットなどのように、もともと一神教の方が古くて、その原始一神教が崩れていって多神教が生まれた、という考え方をするものもあったのであります。 この二つの考え方は、方向こそ逆になっておりますけれども、そこに共通したものを持っております。それは「一神教であるキリスト教が高等な宗教で、多神教は程度が低い宗教である」という前提を持っていることであります。これは従来の宗教学というものが、主として西洋の学者によって行なわれてきたためであろうと思われます。 ところが近ごろでは、このように宗教を発達段階でとらえようとする見方が、全体から申しまして、だんだん衰えてきたといってよいのであります。 今日では、そういう見方よりも、むしろ歴史的、地理的な条件が背景になって、一神教や多神教が生まれるようになった、という見方のほうが有力になってまいりました。 そこで多神教がどういう歴史的、地理的条件から生まれたか、ということを考えてみたいのであります。このことにつきましては、近ごろ流行になってまいりました文化人類学の考え方が参考になります。その文化人類学の研究者の石田英一郎氏――東大教授でしたが先年亡くなられました――この方が『二つの世界観』という短編を書かれ、その中で「遊牧ないし牧畜の民族からは一神教が生まれ、農業民族からは多神教が生まれる」ということを述べられたのであります。 石田さんはこれに関連しまして、「遊牧民族は唯一神しか認めないために、不寛容、非妥協の傾向が強くなる。これにたいして多神教を奉ずる農業民族は、異なった信仰や宗教にたいして寛容である」「一神教では、神が男性であると考えられ、男性原理が支配する。これにたいして多神教では、神は女性であるとされ、女性原理が働く」「一神教では、ただ一人の神が摂理を行なうために、世界が合理的に構成される。つまり合理性が支配する。ところが農業民族の多神教では、どうしても多元的、多様性の要素が強くなり、合理性よりも情緒性が優勢になる」というようなことを言っておられるのであります。 そこで問題にしたいのは農業民族の多神教でありますが、そのためには、かえって一神教の特徴を始めにつかまえたほうがわかりやすいと思いますので、まず一神教を生んだ風土について考えてみたいと思います。 一神教の風土――砂漠 一神教と申しますと、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教がその代表であり、そして現在の世界の宗教のうちで最も有力なものも、この三つの宗教であるといってよいかと思われます。 しかも、この三つの一神教は、中近東という地域で生まれたものであり、砂漠で生まれた宗教であるという共通点を持っているのであります。そこで考えられることは、一神教というものが砂漠と何らかの結びつきをもっているのではないか、ということであります。 砂漠の民といえば遊牧民が代表的なものであり、さきほど紹介しました石田さんの説も、 |