らのことは、地中海を中心とした、ローマ帝国、南蛮の地からみると、アルプス山脈とピレネー山脈の彼方の北の辺境における事業である。 こうしてみると、近東イスラエルに発しだキリスト教がギリシア的世界から、ローマの世界へ、次いで南欧のスペイン・ポルトガルから、北欧の辺境に移って行ったことがわかる。 アラビアに発したマホメット教の西への展開は、スペインにまで至っている。聖書の原典の訳書をみただけでも、宗教文化の、文化発生の故地から文化の辺境への移動ははっきりわかる。 興味あることは、この文化移動が、中心地から辺境ヘの移動をただ単に図式的に告げるだけではなくて、曽っての文化の中心地が、むしろ取り残された形で蛻の殻に近い姿になり、却って、辺境の地が文明の最先端をゆくような様相を呈すると云う視野を確立したことである。 この種の辺境文化論は、文化人類学者の石田英一郎氏によって主張されはじめたのだが、惜しいかな完結をみずして最近氏は亡くなられた。私はこのような文化論のより精細な肉付けを志している者であって、このような世界文明の動的展開にすえられた視圏は何より本論を正しく包み込む重要なものだと思っている。 イギリスが文化の中心から遠く距った辺境の地にあり乍ら、近東文明の西進のいや果てとして、却って文明の中心になったように、日本もまたユーラシア大陸の東のいや果てにあって、古くは文明の中心から遠くあって、然も時代の展開と共に、大陸のよりよき文明
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