を受容した際にとられた「摂取」には日本的形態とよんでよい独特のものがみられる。

 この形態は、外の秀れた文化に対して常に心を大きく開いている「開放性」と、開いて受け入れた事象を同化して完全に自分のものにして了う「主体性」との二つによって色どられている。摂取の語はこの独特な日本的形態を名付けるのに一番ふさわしい語である。

 日本文化史を通してみて、我々は神々の不思議な摂理によるのではなかったかとすら、思わず讃嘆の声を発せずにはいられなくなるような不思議な事態の生起に気付かされるのである。それは何かと云うと、日本が外に開いて受容した文化は、揃いも揃って、相手国の長い歴史のうちで、最優秀の文化所産とみられる、その当のものであったことである。これはまことに「幸恵なるかな」と云わねばならぬところであろう。

 六世紀における百済国と朝鮮儒教、七世紀における中国の隋朝、唐朝の文明、十七世紀における中国宋代の文明、十六世紀にもたらされたポルトガル、スペインのラテン系南蛮文化、十九世紀のオランダ、ドイツ、イギリスと云った広い意味での北欧系の紅毛文化である。

 世界文明の動態と日本文化

世界文明の中心地はアジアである。これを宗教に限定して云うならば、ユダヤ教、キリスト教、マホメット教は西アジアに起った。仏教は印度におこり、儒教は中国に生じた。精神文明の故地は明らかにアジアである。

 紀元前六世紀中葉に孔子は中国に生まれ、五世紀中葉に釈迦は印度に生まれた。紀元前五世紀にユダヤ教団は成立し、紀元後一世紀中葉に原始キリスト教団が成立した。マホメットは六世紀中葉にアラビアに生まれ、六二二年メッカからメジナヘの遷住を記念してイスラム暦の紀元としている。

 真に人類の教師と名付けることの出来る重だった人々はアジアに生をうけ、その教えと行法を確立した。この人類のための教えは文明の故地から、ユーラシア大陸の東へ、又西へと、それぞれそのいや果ての地へと移って行った。世界文明がもつ一種の遠心力のようなもので、文明は大陸の中心から辺境へと移動して行ったのである。これは世界文明史の動態を決定する法則のようにすらみられる。

 例えば、キリスト教の中心教典である聖書をみてみる。前半の旧約聖書は本来、ユダヤの古代語・ヘブライ語で書かれている。これはユダヤ教の成立した所がヘブライ人のイスラエルであったことをあらわしている。聖書の後半を占める新約聖書はギリシア語のものを原典とする。これは原始キリスト教団がギリシア文明のヘレニズム世界で展開したことを語っており、更に広くラテン語の聖書となった。ローマン・カソリックの神父は、礼拝の儀礼において公式にはラテン語を用いてきたし、今もその形式を踏襲している。これらは、ローマ帝国下のラテン文明の世界にキリスト教が展開したことを物語る。

 更に、イギリスにおけるジョン・ウイクリフのキリスト教改革、ドイツにおけるルーテルの宗教改革をみると、彼等はカソリックの改革とあわせて、自国語の聖書訳を行なつたことがわかる。ウイクリフはイギリス語訳、ルーテルはドイツ語訳聖書をつくった。これ

 

 

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