儒学 【儒 学】南宋の朱熹によって大成された朱子学は13世紀の初めに日本にはいってから、五山の禅僧たちによって仏儒兼学がおこなわれてきた。しかし、近世初頭になって藤原惺窩(1561〜1619)が儒学の独立を唱え、近世儒学の祖とよばれるにいたった。惺窩ははじめ京都相国寺の僧であったが、五山の僧が名利に憂身をやつすありさまをみて仏教をすてて儒学にうちこむ決心をかためた。家康はかれの進講をうけて仕官をすすめたが、ついに仕官しなかった。惺窩の門入林羅山(道春、1583〜1657)も建仁寺の僧であったが、師の教えを一歩すすめ、明らかに仏教や陽明学を排して日本朱子学を確立し、1605(慶長10)年以来、家康に用いられて幕府の文教政策にたずさわり、1630(寛永7)年には上野忍岡に家塾をたてた。これよりその子孫が代々幕府の文教をつかさどることになるが、幕府がこのような朱子学保護の姿勢を示したのは、朱子学が現存秩序を天与のものと考え、君臣・父子の別をわきまえ、上下の秩序を重んじて大義名分を明らかにすることを説いたので、封建秩序を守ろうとする幕府にとってもっとも適した理論だったからである。こうして朱子学はおおいに重んじられ、諸大名も幕府に習って朱子学を採用するようになっていった。 |