この「根葉花実論」は、実は、「神国ニ於イテ仏法ヲ崇ムルノ由来、(中略)何ノ因縁ヲ以テ、他国ノ教法ヲ要スル哉」という質問に対する応答として述べられたもの、すなわち、神国である日本国において仏教を尊崇する理由、そして、仏教がインド(天竺、梵天)から東漸して日本国に流布した由緒に関する説明なのである。すなわち、花が散って木の根もとに落ちるように、仏教という花は根もとである日本へ伝来したのであり、仏教の東漸は日本が三国(日本・震旦・天笠からなる世界)の中心であることを証明するためであるから、仏教は尊信に値する、というのである。 ここに展開されたのは、神道至上の観念、さらには日本中心の思想であるが、それは、神道以外の教法を排斥する独善と閉鎖におちいることなく、かえって神道の発展と永続のために外来の教法を摂取する必要を説く立場であり、偏狭な民族意識の枠を取り払って、外部世界へ日本国を開放する方向をめざす意図を含むものであった。要するに、兼倶の根葉花実論は、一五〜一六世紀の東アジア世界における日本の知識人の提出した文化論であり、神道を基軸に据えた外来思想受容の方法論であると読むことができる。(まとめ)
(本論文は北京日本学研究中心編「日本学研究」第四号〈未刊〉に寄稿した論文「日本中世神道論の成立と外来思想」と一部重複する個所のあることをお断わりする) 広神 清(ひろかみ・きよし) 元筑波技術短期大学講師 筑波大学哲学・思想学会『哲学・思想論争』第15号
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