序章

 日本思想の中核をなすものが神道思想であるとの論は、今日一般に承認されていると言ってよい。しかし、そうは言えても、これは、日本思想が神道一色に染めぬかれていることを意味しないのであり、また、日本思想の中核とされる神道思想がまったく純粋に日本的要素によってのみ形成されていることをも意味しないのである。

 ここで「純粋に日本的」とは、産物にたとえれば「日本原産」というほどの意味であり、日本の風土に生い育ったものを指すのである。神道思想を形成する要素が純粋に日本的な性格をもつものに限られないということは、神道思想の内実が日本土着の思想のみでなく、外国産の渡来思想をも含むということを意味する。

 この外来思想は、東アジア世界における思想伝播の波が日本列島へもたらしたものであり、漢訳仏典による仏教、儒家思想と道家思想を主要な内容とする中国思想であった

 これらの外来思想を受容した日本人は、みずから培養した土着の思想と外来の思想とを混淆し習合して、神道思想を形成していくのである。

 本論文では、主として仏教思想が神道理論の形成に果たした役割に焦点をしぼって考察を進めていくこととする

第一章  神道以前

 外来の思想のなかでも特に仏教の与えた思想的衝撃は強大であったと考えられる。したがって、神道成立の歴史を考察するに当たって、その時代区分を問題にするとき、仏教渡来以前と以後とを区別しておくことが必要となる。これを言い換えれば、日本人は渡来した仏教と出会うことによって初めて自己の「神道」を自覚させられたのであり、仏教伝来以前においては未だ「神道」は存立していなかったと言えるのである。この時期の神道は、それゆえ、厳密には「神道」とは言えないのであり、自然界の日月星辰・山川草木・動物などに宿る霊異をカミとして崇拝し、人間やその霊魂をやはりカミとして尊信し、これを祭る行事を共同にするという祭祀儀礼の共同を意味していた。共通のカミを崇拝・尊信の対象とする共同体の共同の行事としての祭祀があるのみで、神観等に関する理論や教理の自覚はなかったというのが、神道以前と呼ぶこの時期の実態であった。

 近年、考古学者の手により日本各地の遺跡・遺構等の発掘が盛んに行われるようになり、そこで得られた考古資料が、この時期の状況に関する新たな情報と知見を提供しつつある。従来の情報と新規のそれとを統合した考古学的知見に基づいて佐野大和が提示した神道史の時代区分(『呪術世界と考古学』第四章第四節〜第六節)を以下に紹介する。

 この時代区分は、祭祀儀礼の共同を主たる内容とする行事中心の、教理体系の整備され

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