二、總論 総 論 戸田義雄 離島日本の動態的文化 日本列島は緑の美しい島々である。おそらくは四、五世紀頃であろう。この島に一つの統一国家が誕生した。アジアの東の涯にあるこの離島の国は、四囲をめぐらす海という天然の障壁によって、外敵の侵入をまぬかれ、第二次世界大戦において、それこそ初めてこの国が曾って味わってもみなかった敗北を記録するまで、千数百年の長きに亘って独立国を誇っていた。このことは西欧における民族と国家の闘争の歴史に照せば、まことに奇蹟に近い感しがする。日本のもつこの地理的要因は一種の孤立をこの国にもたらしたのである。地理的孤立と呼ぶべき環境条件がこの国の「質」に及ぼした影響は甚大であり、こゝに視点をすえることなくしては、この離島に生起した文化の動態を鳥瞰することは不可能であるとすら言える位である。 近代以前に、ユーラシア大陸の豊かな文化を意識的に共有しながら、然も他の文明国から、はるかに離れて生活した民族集団である日本に言及するにあたって、この日本の地理的要因にふれたのはハーバート大学、ライシャワー教授の研究であった。(一九七五年刊、英文『北米合衆国と日本』第六章)この視点をイギリスにあてはめるとどうなるであろうか。そこでしばらく両者を比較することから筆をすゝめてゆきたいと思う。 日本とユーラシア大陸の先端朝鮮との間を距てる海峡は約一〇〇マイルである。この距離はイギリスの歴史と国民をつくる上に重要な影響をもったドーバー海峡の五倍にあたる。日本と、朝鮮文明の故国である支那との距離はもっと大きい。 ユーラシア大陸の東の涯に、適度の距離を保って距てられた日本と、同じくこの大陸の西の涯に位置したイギリスとは、地理的要因たる「孤立」において一見近似しながら、この海峡がドーバー海峡の五倍であると云う条件によって、日本的孤立とイギリス的孤立とが夫々それらの国にもたらした影響を別のものにしているのである。 ロンドンのヴィクトリア駅を出るヨーロッパ随一を誇る特急列車「金の矢号」は、ドーバー海峡をフェリーによって越え、フランスの首都パリーに着く。これと同じ性質の国際列車を、北九州から朝鮮の首都の間に走らすことは、曾って一度も夢みられたことがなかった。国際間の外交事情をー切ぬきにして、純粋に地理的に考えたデスク・プランとしてすら事実はそうだったのである。 イギリスの旧名アルビオンは「白妙の国」を意味した。フランス側のカレーの海岸に立てば、イギリス側のドーバーの岸の白亜の断崖が望見される。そこからこの名が由来したと云われている位である。それ程にドーバー海峡は狭い。地質時代には、ヨーロッパ大陸と地続きであったから、イギリスの地形、地質は大陸と密接に関聯している。スコットランド・北ウェールズ・北アイルランドはスカンジナビア半島に連なり、イングランド東南
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