一、導論(プロローグ)

文化という言葉の意味

 

和辻哲郎

 文は武に対する言葉として、学問芸術道徳などをひろく意味しているのであるから、武力をもってせず文の力をもって化することを文化といい現わすことは昔からあったまた武骨なこと、荒っぽいことに対して、文が優しいこと、みやびやかなことを指すのであるから、粗野な状態から文雅な状態に移ることを文化といった例もないわけではない。しかしそれが今のように盛んに用いられるようになったのは、明治の末にドイツの新カント派の哲学が熱心に迎え入れられ、ドイツ語のKulturの訳語として起用せられた時からであると思う。それまでは英語のCivilizationの訳語としての文明開化、特に文明の語が主として用いられていた明治三十年代に出た博文館の百科全書の中には、世界文明史、日本文明史などはあるが、まだ文化史という書名は現われていない。それに対して文化という訳語が目につき始めたのは、明治四十年代にウィンデルバントやリッケルトがはやり始めてからであったと思う。

 しかしそのころにすぐに文化という訳語が優勢になったというわけでもなければ、またドイツの哲学者の考え方に従って、Kulturの訳語の文化が精神的文明を、Civilizationの訳語の文明が物質的文明を意味するなどという区別ができたわけでもない。明治四十五年一月に出版された井上哲次郎、元良勇次郎、中島力造共著『哲学字彙』は、Civilizationの訳語として開化、文明、文化の三者をあげ、Kulturの訳語としてはただ文明、開化の二者のみをあげている。したがってGeistige Kultur精神的文明であって文化ではない。それではKultur    に対してわざわざ文化という訳語を避けたのであるかというと、そうでもない。Kulturgeschichteは文明史、文化史と両様に訳されている。さらにKulturkampf, Kultursystem などになると、文化闘争、文化組織などと、文化一点張りの訳語がついている。つまり文明と文化という言葉をはっきりと区別する意図はないのである。もっともこの『哲学字彙』は当時としても少し時勢遅れであったように思われるので、これだけで明治末期の状態を判断するわけにはいかないが、しかしとにかく文化がKulturの訳語、文明がCivilizationの訳語というふうに解せられ、その文化という訳語が優勢を占めるようになったのは、大体この字彙よりも後、大正の初めのことであったように思われる。したがって文化という言葉の意味にはウィンデルバントやリッケルトの哲学と関係するところが少なくない。

 「文化」は「自然」に対する言葉である自然を材料として、そこに何らかの人工を加え、それを一定の「価値あるもの」たらしめる過程が文化なのである。したがってその価値あるものが「文化財」と呼ばれている。これもKulturgüterの訳語で、Güterは財に当なるに相違ないが、しかし科学、道徳、芸術、宗教、法律、経済、国家などの文化所産を「財」といい現わすことは、どうもあまり適切とは思えない。しかしこれはもう法律や制度の用語に使われているのであるから、われわれは財という言葉をそういう精神的なもののほうへ近づけていくほかはないと思う。

 

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