六、專論B 末法思想 末法思想とは、仏教で説く予言的年代観で、末法とは正法・像法・末法の最後の時代である。正法とは、ふつう釈迦の死後1000年間で、釈迦が死んで間もない時期であるから、その教えがよくおこなわれている時代である。像法とはその後1000年間で、釈迦の教えがだんだんとおこなわれなくなる時期である。この両時代を過ぎると末法1万年の時代にはいり、この時代になると、釈迦の教えは全くおこなわれず、ついにはこの世は滅びてしまうであろう、という考えかたで、わが国では、1052(永承7)年が、この末法の初年にあたると考えられた。しかも、そのころ政治は乱れ、盗賊や火災・疫病などが相ついでおこり、末法さながらの状態を経験するようになったため、人々は末法到来の声におびえ、ひたすら阿弥陀仏の本願によって死後に極楽に往生しようと、浄土教の信仰へとはしったのである。 (鎌倉)新仏教の誕生 平安末期から鎌倉時代にかけての時期は、政治的にも杜会的にも一つの大きな転換期であった。藤原氏の衰亡と源平の争乱、あいついでおこった天災地変などは社会不安を助長し、末法到来の意識を人びとの心の奥深くうえつけることになった。しかも当時の仏教界では、寺院・僧侶の腐敗堕落がはなはだしく、僧兵をたくわえて勢力をきそい、俗権を争ってやまない状態であった*。旧仏教、とくに天台宗では延暦寺を中心として多くの学僧たちが教義の研究や修行につとめていたが、もはや人びとの心を救う力はなく、人びとはこの末法の世からの救済をのぞみ、新しい救いの教えを渇望してやまなかった。
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